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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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2006年 11月 28日
ケイの体調、近くのクリニックで診てもらっても一向に回復しないばかりか、悪くなっているような気がして、昨日、チェンライ市内のO病院へ。
診察をした、主治医・W医師も、顔色を見るなり心配し、即刻入院が決まった。 入院を覚悟していたので、その準備を怠りなくしていって、手間がかからずほっと・・・。 半分は、肝臓の検査をかねた検査入院みたいなものだが、点滴をはじめて3時間ほどで、見る見る回復してきたようすで、顔色にも血の気が戻ってきたようで、とりあえず、ほっとした。 夜の回診で、肝臓には全く異常がないことよとのことで、W医師の口からも冗談が飛び出す。よかった、よかった。 今朝の回診で、今日の午前中に退院ということになった。 医療費など、しめて3000バーツ近い。結果を考えると、高いような安いような・・・。 寒期で入院患者が多かったせいで、個室ではなく2人部屋に格下げで、今回はこれでも、いくらかは安上がりになったらしいが、各種の医療保険が、普及してくるにしたがって、医療費も2,3倍になったような気がしてならない。 もっとも、そのお蔭がどうかは知らないが、最新の医療器具なども導入されるようになったらしいし、看護婦や医師も増員され、患者に対する応対も快適になったような気もしないではない。 日本で入院したときにも、病院暮らしは、「天国」と思えたりしたが、北タイの田舎でも、こと官営ではないO病院は、家にいるよりは、ずっと「サバイ・サバイ」棚と思われた。 ただし、入院費用を支払う段になると、顔色も青ざめてしまいそうだが・・・。 今回は、村内で葬式があったり、急ぎの農作業があったりで、付き添いをしてもらえる人がなく、夜は、小生ひとりで付き添い。 かみさんは、病み上がりの犬・猫の世話もあり、昨日昼過ぎに路線バスで帰宅し、チャムトーンなどのいつもの仕事を終えて、今日は、昼前に病院に着き、退院手続きなど済ませてくれた。 ケイは、医療保険に入っているが、年間の掛け金が1000バーツちょっとのもので、1回につき、最大500バーツしか保険金は下りない。 ベッドの病人にあれこれ文句言われたり、指示されたりの付き添いだったが、それもまた、悪い気はしなかった。 そのうち、立場が代わって、付き添いをしてもらう日が来るんだろうな思うと、ちょっとばかり不安な気持ちにも・・・。 とにもかくにも、元気な娘が戻って来てくれて、喜ばしい限りである。 ■
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by payarn
| 2006-11-28 19:09
| 日記
2006年 11月 26日
今日もカラリと晴れた良い天気。「小春日和」。
短パンにTシャツでは、日陰でじっとしていると肌寒い。 とはいうものの、長袖で、ちょっとした作業でもすると、汗ばんでくる。 最高気温も20度前後までしかあがらなかったようだ。 昨夜はいくらか回復調子だったケイ、またもや、元の木阿弥。 本人は、明日は登校するつもりでいるが、欠席ということになりそう。 以前、「肝炎」をわずらって、ウィルス退治が長引いたことがあり、またぶり返したのでなければいいが、心配である。 明日もこの調子なら、チェンライの病院へ連れて行くことに。 ケイが何にも出来ない代わりに、キックがだいぶ役に立つようになった。夕方近く、キムチを漬け込んだが、キックが手伝ってくれた。 今回も大成功と行きますかどうか。1週間後が楽しみ。 「デン」、ピックの雄の子猫、我が家でも1,2を争うくらいの大きさにまで成長した。人間大好きで、性格が素直でいい猫なのだが、「オス」を発揮しだすと手に負えなくなりそうで、避妊手術をすることにした。 メチャンの「サンタット」獣医のいつものかかりつけのクリニックで手術してもらった。タイの田舎の獣医の技術(?)も、日進月歩のようで、全身麻酔ではなく、「鎮静剤」の注射と局部麻酔だけで切った。術後も意識ははっきりしていて、この方が回復は早そうである。 また、傷跡を糸で縫うのは、直りが遅いし、抜糸の手間もかかるということで、縫わなかった。傷の大きさも、以前と比べると、ずっと小さいのだが、後から出血しないかどうか、ちょっとばかり心配ではある。 ついでに、「トラ(虎)」のその後。 少しづつだが回復してきていて、やっと、食欲も普通になってきた。 今日は、お得意の「便器」でおしっこ。的をはずさずにするところも、技能かも。 全部の猫が、まねをしてくれると、トイレの交換の手間がだいぶ楽になるのだが・・・。 完全に回復したら、兄弟猫の「リュウ(龍)」とともに、避妊手術ということになる。 ■
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by payarn
| 2006-11-26 20:45
| 日記
2006年 11月 25日
昼前、メチャン温泉の近くに越してこられたSさん、ご家族で、来訪。
越してきて、まだ10日でお忙しい中、わざわざおいでいただいて恐縮。 3歳のお嬢さん、とてもかわいい。 名前は、小生の末妹と同じ、「トモコちゃん」。 越してきて間なしなのに、地元の幼稚園に入学されたそうだが、日本とは、あまりに違う環境に戸惑っておられるにちがいない。ちょっと、気の毒な気がしないでもない。 Sさんは、”SOHO”で、お仕事が出来るそうで、結構なことである。 これから先も、みなさん、お変わりなく過ごされますように。 「トモコちゃん」も、先々、すくすくと成長されんことを。 我が娘、ケイも同じくらいの年頃で、初めての日本の土を踏んだ。 その後も、さまざまな理由から、タイと日本を行ったり来たり、通算では、18ヶ月くらい日本の生活をしていたことになる。 わずかな期間だったが、彼女の日本に対する思い入れはかなりのものである。 3才くらいから7,8才くらいまでの時期の生活習慣というのは、いろいろな形で、後々まで大きな影響を与えているように思われる。 娘の日本食好みなど、「すこぶる」つきのものである。 最近は、単なる好き嫌いというのではなく、口にしない「北タイ食」も増えたようである。 娘は、合宿研修依頼の風邪(?)をこじらせて、体調を崩しており、昨夜は、普段より、2時間ほど早く床についた。学校を休まなかったことも、こじらせた原因のようである。 今朝は起きられない様子で、嫌がっていた「ハー・モー(医者通い)」も、二つ返事で。Sさんご家族がお訪ねくださったちょうどそのとき、クリニックから戻ってきたばかり。高熱があり、医者の勧めで、かみさんは家で娘の看病ということになり、予定していたメサイへの買い物は、小生と下の二人だけで出かけた。 メサイで、「ギョウザ」を食べた後、市場で「キムチ」用の大根・柿など購入。 かみさんから、「ロータス」で「シャケ」を買ってくるように携帯電話が入る。 「みかん(ソム・キオ・ワーン)」は、家を出るときに娘から依頼されていたらしい。 夕食は、娘のために、日本食ずくし。 Sさんからいただいた、娘の大好物「柴漬け」も食卓に。 「日本米」のご飯、「とんかつ」、「シャケの塩焼き」、「わかめの味噌汁」、「白菜のお新香」。我が家としては、まれに見る豪勢な日本食である。 かみさん、お疲れ様でした。 日本に行ったことなど全くないばかりか、日本人との出会いもそう多くはなかったはずの、わが山の神が、ともかくも日本料理を作れるようになったのも、短い日本滞在期間中にお世話になった大勢の皆様のお蔭と、心から感謝しております。 娘ばかりか、小生も、体調が思わしくないときには、きまって日本食にせいを出してくれるかみさんにも、頭の下がる思いがします。 娘もかみさんも、ふたりとも、日本が大好きなのだろうと思うと、ジンとくることもたびたびです。こちらが半分タイ人になってしまった反面、ふたりは半分日本人になってきたのかもしれません。 ■
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by payarn
| 2006-11-25 21:24
| 日記
2006年 11月 24日
![]() もみ蒔きをしてから、167日。やっと収穫になりました。 あてにしていなかった人たちまで、手伝いに来てくれ、総勢34名。多すぎて、1町歩ばかりの田んぼ、午前中で終わってしまい、あとは、夕方まで宴会(?)。夜も。 稲刈り人足の不足の折から、我が家だけでこんなに集めてしまうと迷惑しているところもありそうです。 かみさんは、義弟の顔を見たくないと、稲刈りには出かけませんでした。もちろん、小生は、写真撮影だけで早々に戻ってきてしまいました。いつものことながら、老兵の出る幕ではありませんので・・・。 『米つくり』、更新しておきました。 メカム小学校の遠足。 低学年、高学年ともに、メサイ・チェンセン方面ですが、高学年は、『アヘン博物館』にも行ったそうです。 毎度のことながら、「キック」は、かみさん好みの「お土産」をあれこれ買ってきて、かみさん、相好をくずして喜んでおりました。「思いやり」ということでいえば、「キック」が抜群のようです。 今朝乃最低気温は、初めて15度を下回ったようで、また一段と寒くなりました。 心配だった「トラ」の容態は、かなり回復し、この分なら、もう大丈夫なように思われます。 寒くなってくると、待望のおいしい「漬物」が食べられるようになります。 タイ式の発酵漬物ではなく、日本式の「白菜漬け」など、堪能できるようになります。 昨日つけたものが、もう、今日の夕方には食卓に出ました。 ちょっと恥ずかしいことですが、白菜の漬物だけで、ご飯を食べました。 北タイ料理のおかずは、何種類もあったのですが、炊き立ての新米の日本米に白菜、 他のおかずには、手をつける気がしませんでした。 明日は、この白菜漬けの一部を使って「キムチ」を作る予定です。 前回、大成功だっただけに、楽しみです。 年中、美味しい漬物が食べられるように、漬物桶の入れられる専用の冷蔵庫を手に入れようと思っているのですが、家計の事情もあって、実現しておりません。 まだ当分は、「天然の冷蔵庫」で我慢するしかないようです。 それにしても、「鰊漬け」や「北海漬け」が食べたいですね。 ■
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by payarn
| 2006-11-24 19:56
| 日記
2006年 11月 23日
朝の気温が、15度近くまで下がった。
暖冬気味だった気候が、やっと、この時期のチェンライらしくなった。 昨日までと比べると、急に3度あまり下がったわけで、やや肌寒さを感じる。 体調の悪い「トラ」には気の毒である。まだ、回復の兆しは、はっきりとは感じられない。夕方までに、その気配がなければ、別のクリニックに連れて行くつもりでいる。 日本は、今日は「勤労感謝の日」で祝日。 幼い頃はともかく、長じてからは「勤労感謝」とは、働く人に感謝する日なのか、働いて生活の糧が得られることに対する感謝なのか、何となく釈然としない気持ちがつづいてきた。 働かない人などというものは、年寄りか子供しかいないわけで、自分で自分に感謝するのも変な話である。働けることに対する感謝だとしても、感謝の対象がはっきりしない。 まだ幼い頃のことだが、祖父などは、この日を「新嘗(にいなめ)祭」といっていた。 この日には、神棚に、その年とれた「新米」などをお供えして祀っていたことを記憶している。 それが、敗戦後、間もない頃制定された「祝日に関する法律」により、祝日の呼び方が変わったものらしい。「神道」色を一掃しなければならないという事情あったためだろうと推察できる。 もちろん、祝日の名前を変えたわけだから、意味づけも変えたらしいが、なんとなくすっきりしない。『勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう』日なのだそうだが、「勤労」や「生産」が、なぜ、11月23日なのか、とってつけた、きれいごとに思えて、この日が来ると、いつも気持ちの悪い思いをしている。 他人から指摘されることは、まれにないではないが、自分のことを「右翼」だという自覚はない。すっきりさせるためには、「収穫感謝の日」とでも名前を変えてほしい気がする。高度に工業化された社会に、「収穫」などというのは、アナクロだということもあるまい。米国にだって、「 Thanks Giving Day 」なる「収穫感謝の日」があるではないか。 谷崎潤一郎ではないが、「有難い、有難い」と、日々、自然の恵みを満喫している生活の中で、感じた感想である。 「新嘗の祭り」というのは、収穫に感謝する祭りで、「記紀」や「万葉」にも関連の記載があって、大昔から延々と続いているものだそうだ。奈良・平安の頃から、皇室の主催する大祭になって、庶民の行事の影が薄れていったようだが、もともとは、農民の収穫感謝祭なのである。 おそらく、日本に稲作が伝わったときに、稲作技術と一緒に、入ってきたものであろうと思われる。 ちなみに、北タイに、この種の「収穫感謝祭」があるということは聞いたことがない。「リンチー祭り」とか「パイナップル祭り」とか、よそ者に見せる、かけ出しの祭りはあるにはあるが・・。 稲作の発祥の地(タイ系の人々は、古来から、稲作発祥の地付近にはびこってきた)ということで、米が食べられるなどということは、至極当たり前のことだから、あえて、感謝の意を表するなどと言うキッカケがなかったのかもしれない。 『シンノスケのこと』、昨日公開いたしましたが、早速、10人あまりのかたがたにお読みいただいたようです。 本当に有難いことです。 犬・猫との共同生活のほんのいったんのことですが、何しろ「シン」には、思い入れもありまして、涙が出るほど嬉しいです。心から御礼申し上げます。 「シン」にも、なり代わりまして、感謝の意を表する次第です。 「シン」は、「サクラ」の根元に、頭を日本の方角に向けて、埋葬してやりましたが、「魂」などというものが、あるのであれば、きっと、何らかの形で、皆様に恩返しをするものと思います。 ■
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by payarn
| 2006-11-23 16:41
| 日記
2006年 11月 22日
2,3日前から、「トラ」、体調を崩していて、餌をあまり食べられなくなり、解熱剤(人間用)を飲ませたり、湯たんぽ入れたりで介抱していたが、回復しそうにもなく、早めクリニックへつれて行く。
風邪をこじらせたらしいのだが・・・。 昨夜、チャムトーンの近くの「ラフ族」の部落で火事。 珍しいことに、消防車が我が家の前を、ピーポー、ピーポーと通って行ったが、所詮は、あとの祭り。小屋のような山岳民族の家など、火事だっていってボヤで消し止められなければ、3分で全焼まちがいなし。 ようやく「シン」の思い出、書き上げる。 書き足りないことも多く、後日補足するかも・・。 ついでに、写真集「我が家の猫たち」も更新。 ■
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by payarn
| 2006-11-22 20:53
| 日記
2006年 11月 21日
我が家の田の稲刈り、24日に決定。
前回は、コンバインを頼んだが、今回は、稲藁を利用するため、人力作業。 20人前後で刈り取ることになるため、あちこちにお手伝いを依頼。 葉枯れ病もかなりひどく、収量は期待できそうもないが、それでも、 打ち上げの「ご馳走(?)」などは用意しなければならない。 稲刈りなどの情報は、こちら に掲載予定。 今回の米つくりの、「田植え」以来のレポートを掲載してあります。 午後、チェンライ県の南の端のパーン郡から、Tさんが来訪。 2000坪以上の広い土地に、昨年、すばらしい、ご自宅を新築されたそうで、ご自宅のお写真を何枚も頂戴(?)した。 ■
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by payarn
| 2006-11-21 21:21
| 日記
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