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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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2009年 12月 31日
今朝6時25分現在の我が家の外気温は、12.2℃。今朝の天気も、快晴。
気象観測所の今朝の最低気温は、11.3℃。昨日の最高気温は、28.5℃。 空港測候所の最低気温は、11.1℃だった。 今朝の最低気温、予想していたほどには下がらず、昨日とほぼ同じだった。 かみさんたち、今朝は随分早起きだった。いつもにくらべると30分ほど早く、洗面所が空いているのを見計らって2階へ上がって行ったが、すでに寝床はもぬけのカラだった。 今日は、「大仏日(満月)」で、お寺詣でに出かけたようだ。「大晦日」とか「新年」とかとは、特に関係はないようである。 早朝のお寺参り、風もあって、体感温度は、10℃以下でかなり寒かったとのこと。 【MAKROへ】 懐具合がいいのか、義姉と姪が、それぞれ、生イカと海老を、年越しのふる舞い料理に「オゴる」からというので、我々は買出しに行くのはやめようといっていたのだが、その買い付け先がスーパー「MAKRO」というので、お付き合いで出かけて行った。 暮れの「MAKRO」、これほどの賑わいは、開店このかた始めてではないかと思う。いつもの駐車場だけではたりなくて、北隣りに100台近く止められる臨時の駐車場が作られていたが、そちらの方も満杯に近かった。タイの景気は、まちがいなく持ち直してきているにちがいない。 係員の話だと、魚介類などの在庫は、店内の収納場所だけでは、保管場所が足りなくて、外の駐車場に止めてある、トレーラー型の保冷車に入ったままだそうだ。 店内も、まるで暮れの上野の「アメ横」を髣髴される人ごみだった。 お付き合いとはいうものの、元日にふる舞い料理を兼ねて、「チャーシュー・ワンタン麺」を作ろうということで、ワンタンの皮や麺など購入、ついでに、犬・猫の餌や、人間様用に「イイダコ」、冷凍の「味つけクラゲ」その他、あれこれ購入し、何のことはない、普段よりも多い散財になってしまった。 姪は、「白海老」を5キロも買い込んだ。バーベキュ・コンロで、「鬼柄焼き」にでもするつもりらしい。義姉に頼まれていた「豆イカ」も、数キロ買ったようである。こちらの方は、炒め物か、酢の物(ヤム)にするつもりのようである。 ![]() 【生マグロ】 我が家の今回の「散財」の最たるものが、写真の「ビン長」である。 たとえ「ビン長」でも、冷凍の「柵(さく)」ではなく、「生(なま)」のマグロは、「MAKRO」で見るのは初めてのことで、1キロ350バーツ(970円)で切り売りするといわれ、衝動買いしてしまった。 タイ湾付近でとれたものだろうか。総体では、おそらく20キロ前後はあったものと思われるが、カマの部分と、下半身しか残っていなかった。 1キロだけのつもりだったが、輪切りにするというので、輪切りだとほんの2cm厚くらいしかないため、少し厚めにとお願いしたら、結局、腹に近い部分、3キロ近くになってしまった。 家に帰って、すぐにさばいて、一部は「醤油づけ」にしたが、正味でも2キロ以上あり、「まぐろ丼」にして、「ゲップ」が出るほど食べるつもりである。 日本でも、2キロ以上ものマグロのさしみを買ったことなどないわけで、これだけでも、「正月気分」にひたることが出来たわけである。 ![]() 【日本料理?「つなみ」】 MAKROからの帰り、1時近くになっていたが、先日、入れなかった「日本料理・つなみ」に寄ってみた。「メーファールアン大学」への三叉路から、1kmほどメサイよりに開店したばかりに店である。 タイ語の看板には「ツナミ・ラーメン」と書いてあったので、「ラーメン」が売り物なのかもしれない。「ツナミ」とは、「津波」のことだが、「ラーメン」とどういう関係があるのかはわからない。「ツナミ」は、もとは日本語でも、今や「国際標準語」になっていて、タイでも「ツナミ(สึนามิ)」は、「津波」の意味である。(タイ語には「ツ」に相当する音の文字はないので、この店のように「ス」で代用して書き、無理やり、「ツ」に近い音で読ませている。タイ人が苦手とするカナである。) 大通りを帰省客などの車が行きかっているわりには、客は入っていなかった。 地元のタイ料理とほとんど変らない値段のメニューを見せられて、無難なところでと、「醤油ラーメン(30B)」、「餃子(35B)」を注文した。「うな丼(49B)」はもしや地元産の「田ウナギ」を使っているのかもしれないと思って聞いてみたところ、「日本ウナギ」だとのことで、やめておこうか思ったが、言い出した手前注文してしまった。 自分で日本料理の店を経営することを考えれば、この値段で、まともな日本料理を期待するのが、無理なことだとは思うが、客が入っていない理由もわかるような気がした。場所柄もあってか、この値段でないと客が入らないのではと思ったのだろうが、もう少し何とかすればと、アドバイスしてやりたい気になった。 タイ人夫婦でやりくりしているらしいが、値段はともかくとして、我が家のかみさんの料理の方が、より「日本料理」らしいなと思われ、短い間だけのことだったが、下働きとして温泉旅館の「賄い料理」を作っていただけのことはあるなとな思った。 ・ 「醤油ラーメン」 手作りのチャーシューが入っているが、麺は、ヒモカワ風の乾麺 汁(つゆ)は、なんとなく、クイティオ風 ・ 「餃子」 作りおきを、揚げたカリカリの「揚げ餃子」 ・ 「うな丼」 価格からして地の「タウナギ」かと思ったが、一応、日本うなぎ。 これは、「米」がよければ食べられる。タイ米では、ちょっと困る。 下の写真は、メニュー(タイ語)の一部。 左側、上から4段が「ラーメン(30~39)」、その下3段が、「うどん(30~39)」、「たこ焼き?(45)」、「豚丼(39)」、「とり丼(39)」。 右へいって、上から、「餃子(35)」、「さば照り焼き(49)」、「焼き鳥(49)」、「しゃけ照り焼き(49)」、「白飯(10)」、「うな丼(49)」、「若芽の酢の物(49)」、「お好み焼き?(59)」、「オムレツ(えび、しいたけ入り)(39)」 看板には、「寿司」や「刺身」の写真も出ていたが、渡されたメニューには、載っていなかった。夜用のメニューが別にあるのかもしれない。 ![]() (追記:2011/11/26) 残念ながら、この店、開店1年足らずで、店終いしてしまった。 チェンライの「ホコ天」などでは、「つなみ」の看板を見かけることがあるので、どこかで営業しているのかもしれないが。 【とうとう、葬式】 隣り村では、12月に入って、すでに10人が亡くなっているが、我が村では、この半年以上、葬式はなかった。 それが、昨夜、本村・ノンギエン在住のご婦人が亡くなって、とうとう、暮れ・正月のお葬式になってしまった。年明けてから亡くなったわけではないにしても、因果なことである。 これで、カウント・ダウンの爆竹や花火など、幾らかは自粛ということになるのだろう。むだな金を費やさなくていいということかもしれないが。 ■
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by payarn
| 2009-12-31 19:03
| 日記
2009年 12月 30日
今朝6時40分現在の我が家の外気温は、12.1℃。今朝の天気も、快晴。
気象観測所の今朝の最低気温は、12.0℃。 昨日の最高気温は、29.7℃。 雲のない一日だったが、暑いからといって薄着になると、日陰では寒いくらいである。 薄暗くなり始めた夕方の6時、外気温は20℃そこそこ。大晦日の明朝は、10℃くらいまで下がりそうである。 【年の瀬の風物詩など】 太陽暦のこの新年は、タイでは、もともとは何の行事もなく、静かな年越しだったのだが、経済成長とともに、都会に出稼ぎに行く連中も多くなり、そんな連中の多くが、年末年始の連休には、田舎に戻ってくるわけで、都会のというか日本など外国の企業社会の風習も入ってくることになる。 大晦日の「カウントダウン」とか、年末の「お歳暮」の習慣。 暮れに、その年お世話になった人への「贈り物」をする習慣は、都会では、タイにも、ずっと以前からあったことはあった。交通整理のおまわりさんや集合住宅の守衛さんなどに。何年か前に、いつも校門の前で、交通整理をしてくれていた近くの派出所のおまわりさんに、プレゼントを渡したことがあったが、このあたりでは、あまりそんなことはしないようで、その後はやめてしまった。 今日、学校では、プレゼントの交換会があったらしい。そんな学校での習慣の影響もあったのだろう、昨日、「キック」と「プッキー」から合同で、「プレゼント」に「コーヒー・カップ」をもらった。かみさんにも、義姉にも、姪にも、プレゼントがあったらしい。古い年をやり過ごして、新しい年を迎えてくださいとメッセージが添えられていた。もらった物は安物だし、資金の出所もわかっているため、うれしさもほどほどだが、悪い気はしないものである。 われわれ自身のことを言えば、この年末年始に、「お歳暮」など持って歩く予定は今のところはない。田舎の大人の世界は、さほど変ってはいない。ただ、「カウントダウン」の明日の夜は、近所の酔いどれたちが集まってくるにちがいないので、そこそこの食い物の準備は欠かせない。どこの家でも、似たようなものなのか、毎度買い物に行っている「サンコン」の市場の人出は、いつもよりずっと多く、食材など飛ぶように売れていたそうで、品物によっては、「奪い合い」だったそうだ。遅れて買い物に行った我が家は、あれこれ買いそびれてしまい、明日、遠出して買い物に行かなければならイかもしれない。 チェンライ県は、交通事故の発生件数や死亡事故件数が、全国でもワーストらしい。 特に、この年末年始には、酔払い運転や居眠り運転などが原因の事故の多発が予想され、大通りは勿論のこと、我が家のあたりのような、大通りから大分奥まったところにも、「年末年始特別警戒」の詰め所ができ、「オーポー・ポーロー(อป.พร.)(注)」と呼ばれる自警団の連中などが、常時つめている。 こんなに、あちこちに「詰め所」が出来たからといって、どれほどの効果があるのかはわからないが、これを見て、安全運転くらいは心がけてもらいたいものである。正月早々の葬式だけは、縁起でもない、勘弁してもらいたい。 山の村の公共事業の建設現場に出稼ぎ行っていた「クイタム」も、年末年始の連休で帰って来た。 酔払い運転の常習犯がひとり帰って来たというだけで、迷惑のようなものだが、彼にとって帰るところはここしかないわけで、追い出しわけにも行かない。彼にとっては、ひと回り以上年上の小生も、「ノン・クイ」である。小生より年は若くても、義姉の連れ合いということで、社会通念上、きつく言い渡すことも出来ないので、成り行きに任せるしかない。 (注) 「オーポー・ポーロー(อป.พร.)」、「日タイ辞典(冨田)」には、『民間防衛義勇団(反共自警団の一種)』と訳されているが、ベトナム戦争時代に設立された亡霊のような組織だが、現在では、団員は、結婚式や葬式などの交通整理などにかり出されている。 かつては、ボランティア組織だったらしいが、現在では、服装が一式支給されるばかりか、出動ごとに、それなりの手当てがもらえる準官吏のようなものである。 地区によっては、似たような組織に「タムルアット・バーン(อาสาสมัครตำรวจบ้าน)」、略して「オソー・トロー(อส.ตร.)」というのがあるが、我が村にはないので、詳しいことはわからない。 【草木に水遣りなど】 庭の草木への水遣りをしたあと、門の脇の、植木の整理をしたり、こんな時期まで放ってあった、「ローイカトン」のミニミニ灯ろうの片づけをした。いつかは誰かが片付けるだろうと思ってはいたが、灯油が残っているスタミナ飲料のビンをどうすればいいのか思いつかなかったのか、今まで、花壇などの中にそのまま置き去りにされていた。「以心伝心」を旨としている以上、誰もやらなければ自分でやるしかない。 【階段の補修】 猫たちが暴れて外れた、2階へ上がる階段の手摺りの柱を装けた。壁を走りまわるような格好で、思い切り蹴っ飛ばしたために、外れてしまったらしい。本来なら、日記に書いておくようなことでもないが、轆轤(ロクロ)で作った刳り物の柱、材質が極めて堅く、とり付けるのに苦労したため書いておくことにした。 そもそも、該当の柱だが、新築時にも苦労したらしく、装け部に近いところが割れていて補修したあとがあり、釘付けも十分ではなかった。 小さな釘で止めてあるだけの、割れた部分は取り外し、「ラテックス」を使って張り合わせ、釘を打つ部分は、極細のビットを使って、あらかじめ穴を開けておいてから、釘打ちした。会談の斜めになっている狭い部分、しかもすぐ上にも、すぐ下にも、同じような柱がある、狭い部分での釘うちは容易ではなく、堅い木に負けてしまう釘を何本も取換えながら、やっと完成。松や杉や檜の建築材料としての良さがよくわかる。 【「イム」、行方不明!】 クリスマス前ころから、チャムトーンの猫「イム」の姿が見えなくなた。 今までにも時々いなくなったことがあるが、3~4日すれば戻ってきたが、今回は、長すぎる。今日で、もう1週間になる。 拘束しているわけではないので、「去るものは追わず」くらいのつもりをしていないと、こちらの方が持たなくなってしまうわけだが、寒さの折り、どこでどうして生活を立てているのか心配である。 かみさんは、もう生きてはいないかもしれないと、半ばあきらめているようである。 今朝は、「メーク」も現れなかったし、「マーク」も大分遅刻してやってきたようなわけで、気がもめる連中である。 ■
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by payarn
| 2009-12-30 20:57
| 日記
2009年 12月 29日
今朝6時40分現在の我が家の外気温は、14.3℃。
今朝の天気、快晴。 気象観測所の今朝の最低気温は、13.5℃。 昨日の最高気温は、29.4℃。 予報によると、天気はかなり安定しているようで、昨日今日のような天気が向こうしばらくは続きそうである。 正月前に、床やと思ったのだが、3軒並んでいる理髪店のうち、営業しているのは、いつも行く店だけだったからか、お客が並んでいて、またの日にということにした。タイの床やは、火曜日が定休日のようである。組合協定のあるどこかのお国とちがって、すべての店がいっせいに休むということもないようではあるが。 【犬の米、にわとりの米】 砕け米を買いに、メチャンのいつもの米やへ行った。 大変な食欲である。生きているんだから、仕方がないこととはいえ、鶏用の日本米の砕け米が一袋540バーツ、犬用の古米の砕け米が、740バーツ。それぞれ、1ヶ月3袋づつは食べてしまうようである。米だけで、4000バーツ近い。犬が18匹、にわとりは、家の庭とチャムトーンをあわせると、200羽は越しているにちがいない。 【額用の写真】 前々から約束していた、「プッキー」の運動会のときの写真を額に入れたものをこしらえてもらった。 「キック」にも小学生低学年の頃の民族衣装の写真を、特製の額に仕立ててもらったものがあって、それと同じものが欲しいということだった。 「プッキー」のは、看板もちのために、金色のランナー衣装を着た写真である。 ![]() あとで、額に納れて飾るからといわれればもう少し沢山撮っておくのだった。かろうじて使えそうなショットは、たった1枚しかなかった。それも、早朝のうちに撮った写真で、明るさが不足していたため低速シャッターになり、ややピンボケ気味の写真。しかも、背景が華やか過ぎる「ブーゲンビリア」の花。今さら後悔しても仕方がないので、とにかく約束だけは果たすことにした。 年月日の部分などトリミングしてもらい、サイズは8×12インチ、大旨20×30cm。 前にも、書いたが「おてもやん」の「プッキー」だが、それはそれで記念にはなるであろう。額縁を含めて、220バーツは高くはない。 【「ムタン」のタネ】 「サーイ・ナーム・プン(はちみつ)種」の「インドナツメ(プッサー)」の種子を送ってくれないかと、日本の方からメールをいただいた。 気候の問題もあるし、それよりも何よりも、もとは「接木苗」、はたしてどういうことになるか、正月休み明けにはお送りできるように種子をとっておいた。 我が家の「プッサー」は、今年はさんざんだった。これから実が大きくなり始めるという10月に大風にあって、半分近くの大枝が、凄まじい風の力で、ねじ切られてしまった。 枝が折れただけではおさまらなかったようで、木全体が、かなり消耗したものと見え、その後、果実は、妙な「ウジムシ」の食害を受けてほとんど人間様の口には入らなかった。今までになく沢山の実がついたのに、本当に惜しいことをした。 木に体力があれば、「ウジムシ」に対する抵抗力があるとは思うのだが、来年はどういうことになるのだろうか、心配ではある。 大風が吹いた10月10日の日記 を読み返してみたのだが、誤字が多いことや、興奮気味に書いている調子が気になって、手をくわえた。小生の日記は、下書きできるような仕掛けをこしらえてあって、誤字脱字の訂正などオフラインで簡単に推敲できるようになっているのだが、相変わらずの「粗忽な性格」は、漢字変換プログラムに当り散らすだけで、なおりそうにもない。 それでも、誤字などあるとは云うものの、今、読み返してみると、当日の様子が蘇ってきて興奮してしまった。書いておいてよかったと思う。 「インドナツメ」については、こちら をご覧ください。 ■
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by payarn
| 2009-12-29 18:15
| 日記
2009年 12月 28日
今朝6時50分現在の我が家の外気温は、13.8℃。
今朝の天気も、薄曇り、のち快晴。 気象観測所の今朝の最低気温は、12.9℃。 昨日の最高気温は、28.9℃。 お天気がよかったわりには、なんとなく肌寒い「冬」の一日だった。 日中、薄着になりすぎたかもしれない。 【お正月の準備完了!】 午前中、パヤオの本地さんがお見えになった。 早朝、メサイのイミグレに行かれた帰りだそうだが、係員の不手際で、新規に取り直しになった1年ビザ、何とか入手できたそうで、ご苦労様でした。日本であれば、お役人の不手際を咎めるだて出来ないこともないのだが、何しろ、ここは、日本の常識が通りそうもないタイのこと、ご心労のほどが推察できる。 毎度のことだが、今回も沢山のおみやげをいだいてしまった。 「数の子」、醤油と味醂で炊くと美味しい「ごまめ」になりそうな「いりこ」、「けんさきか」の「するめ」。みんな、日本のお正月の味で、タイでは、貴重品である。 来年の日本のカレンダー、いつもの和風標語カレンダーもいただいた。 ちょっと大袈裟だが、もう、お正月の心の準備もバンタンである。新年まで、あと4日か。 本地さんの御師匠、芳賀先生のニコンカレッジのテキストも頂戴した。中に、本地さんの奥さん、THIPさんが被写体になっている写真など、数枚はタイで撮られた写真のように思われるものも掲載されていた。 「スナップ編」、初心者の講習用のテキストらしいが、プロの写真は、シャッターを切るのにも、随分神経を使っているのがよくわかる。ろくにシャッター・チャンスも確かめないで、ただパシャパシャ撮るのでは、他人様にお見せできるような写真なんか撮れるわけはないと痛感。たまにとれたとしても、大まぐれに、「宝くじ」にあたるようなものかも。 ![]() 【今頃、「朝顔」】 昨日の「花フェスタ」で見かけた「朝顔」。 「西洋朝顔」だが、今のチェンライの気候は、寒い寒いとはいっても、季節外れの「アサガオ」が咲くほどの気候なわけである。 前回の「花フェスタ」の写真、すでに公開済みかと思っていたが、公開されていなかったようである。 つい億劫して、忘れてしまったものと思われる。 気に入らない写真が多く、もしかすると、今年も、公開しないままになってしまうかもしれないので、小出しにした方がいいかもしれない。 ■
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by payarn
| 2009-12-28 20:09
| 日記
2009年 12月 27日
今朝6時40分現在の我が家の外気温は、13.2℃。
今朝の天気も、快晴。 気象観測所の今朝の最低気温は、12.6℃。 昨日の最高気温は、29.6℃。 朝の気温は、放射冷却もあって下がったものの日中は熱くなりそうである。 炎天下の「フラワー・フェスタ」、参った参ったである。 ![]() 【フラワー・フェスティバル】 「キック」と「プッキー」にせがまれて、昨日からはじまった恒例の「第6回 チェンライ・フラワー・フェスティバル」に行ってきた。 タイ語では、「เทศกาลเชียงรายดอกไม้งาม ครั้งที่6」 という。 英語では、「The 6th Chiangrai Flowers Festival」だそうである。 朝の10時前に家を出て、たった今しがた、夕方の5時前に帰りついた。ああ、疲れた! 近所の子供や、「キック」のクラスメートなども一緒で、総勢8人になってしまい、いくらなんでも、サニーでは、窮屈で、おんぼろピックアップで出かけて行った。 危惧していたとおりの炎天下で、年寄りが、若者たちのお供をさせられるのは疲労困憊の極みではあったが、今回の「花祭り」、入場無料というのは、ちと申し訳ないほどのお祭りだった。今日だけでも、1万人以上の入場者があったにちがいないが、近在にお住まいの方で、まだの方には、おすすめの「お祭り」です、是非どうぞ。 昨日、26日から、1月の4日までの8日間だそうだが、会場内は8日間だけの「お祭り」だとは信じられないほど大掛かりで、「恒久的(?)」なセッティングのように見受けられた。 夕方からの「ビア・ガーデン・シアター」も素晴らしそうでした。 会場への道筋は、下の地図をご参照ください。 ①、②、③は、「パホンヨティン通り(国道1号線)からの会場への入り口で、①はメンライ侯碑前の5差路から、②は、「ワット・ファンミン」への木の門のある通りから、③は、チェンライ空港入り口から。①、②、③殻は、どこからはいっても、道々に矢印つきの看板が沢山出ていて、迷うことはなさそうです。 チェンライ空港の南側、「コック川」にかかる「メーファールアン橋」の北詰めの群青色の★のあたりが会場で、会場の北側などにかなりの広さの無料駐車場が用意されています。会場の広さは、100ライ(16000㎡)以上だとか。 「チェンマイ花博」のノウハウが生かされているのか、「ユリ」や「チューリップ」、「シクラメン」など、本来は、「温帯の花」と思われるものをはじめ、今までで最高の花を見ることが出来ました。 『今年は、花をめでるのには、イギリスに行かないで、チェンライへ行きなさい』とテレビ宣伝しているくらいだそうです。 それにしても、莫大な費用がかかっているにちがいない「お祭り」、主催は、チェンライ県の行政執行委員会だそうですが、この予算、どこから出ているんでしょうかね。やはり国からの予算でしょうかね。人の財布ながら、心配してしまうほどです。 とにかく今年の「チェンライ・花フェスタ」は、暇さえあれば、また行きたくなるほどの素晴らしさでした。 写真つきの「特集ブログ」で、後日、紹介する予定です。 会場内を一通り見てまわったあと、子供たちのリクエストで、「コック川遊覧船」に乗ることに。1時間弱の周遊ですが、貸切りで、茶菓子つき、締めて480バーツというのは、申し訳ない「タイ人プライス」。舟に乗ったことのない子供もいて、大喜びでした。 ![]() 【チャムトーンの「ミム」】 昨日の夜、檻から解放したということで、心配していたが、今朝はすっかり元気を回復していた。 ■
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by payarn
| 2009-12-27 20:26
| 日記
2009年 12月 26日
今朝6時40分現在の我が家の外気温は、14.2℃。
今朝の天気、快晴、わずかに東の空、血色の朝焼け。 気象観測所の今朝の最低気温は、13.3℃。 昨日の最高気温は、28.9℃。 前日と同じように夜間に目が覚めたが、ほどなく眠ることができ、今朝は、朝寝坊したが、いくらかさわやかな寝覚め。 少し気温が下がったようで、かみさんたち3人も朝寝坊。 ![]() 【チャムトーンの「ミム」、避妊手術】 家の方にも、「ミム」という名の古株の猫がいる。写真は、9月に撮ったチャムトーンの「ミム」で、まだ子猫である。 チャムトーンの「ミム」は、子猫12匹のうちの生き残り4匹の中のただ1匹の雄猫である。概してオス猫はメス猫とくらべると、「おくて」だが、「ミム」も3匹の姉妹猫に遅れること3ヶ月ほどで、避妊手術を受けることになった。メスの「パンダ」、「マーク」、「ミヤン」の3匹はとっくに避妊注射を済ませている。 「サンタット獣医」は、全身麻酔注射が、きつすぎる傾向があって心配ではあったが、連れて行った。手術後6時間が経過した、午後4時現在、まだ解放してやれるほどには回復していないため、檻の中である。チャムトーンの場合、ヨタヨタ歩き程度の回復状態では、池に落ちて溺死する心配があるわけである。 昼食後、しばらくして見に行ってみると、檻の中に敷いておいた毛布やタオルケットは、痲酔注射の臭いがする尿でビチャビチャ。早速洗濯ということに。 今日は、ついでということで、変な「麻疹」が出ている「ニン」も獣医に診てもらった。 数日前から、下腹部の半分から、その先モモのつけ根あたりにかけて、人間で言えば、「ヘルペス」のような発疹が見られらた。「ダニ」かもしれないと「蚤とりパウダー」を使ってみたのだが、翌日、1日限り幾らか効き目があるように見えるのだが、翌々日には元に戻っていて、気持ち悪いので、連れて行くことにした。 獣医の診立てでも「ダニ」ということで、注射してもらったが、今までの「ダニ」の症状とは異なるので、心配している。 今のところ、ほかの猫には、同じような症状は見られない。 「ニン」は、このところ元気がなく、一日中寝てばかりいるが、内科的な病気でなければいいのだが。 【「ラー」からプレゼント】 正月休み(?)で、帰省してきた「ラー」の姉の「ケーオ」から、「ラー」から荷物を預かってきたのでとりに来いという連絡があって、「フエカイ」の彼女の家までとりに行った。 「ラー」というのは、北タイでは、非常に多い呼び名で、「末っ子」という意味である。男女にかかわらず使われる通称で、日本風にいうと「留吉、留子」とか「末吉、末子」といった感じの名である。 我が家の親戚や知り合いの中だけでも数人の「ラー」がいるため、注釈が必要だが、今回の「ラー」は、娘「ケイ」や「キック」の実母で、義弟・タウィの前妻で、7人兄弟姉妹の「末っ子」である。 離婚したあと、姉の「ケーオ」たちを頼ってバンコクに働きに出ていたが、2年ほど前に再婚し、その後、子供たちともなんとなく疎遠になっていたが、出産後の半年くらい前からは、また頻繁に連絡して来るようになった。 ダンボール箱の中には、「キック」たちへと、たくさんの「古着」や、暇にまかせて編んだらしい毛糸の帽子、マフラー、それにビーズのバッグなどと一緒に、「干しイカ」、「塩さかな」が入っていた。結婚してからは、生活もたいへんになったのかもしれないが、おかみさん風の心遣いが感じられてなんとなく微笑ましい思いがした。「ラー」も、もうじき40になるわけだ。 午後になって、「ラー」から「キック」に直接電話が入り、長話をしていた。感じやすい年頃の「キック」だが、今日は、いつになく「ハイテンション」である。うれしかったのだろう。「キック」は「母のない子」ではないのだと自覚できたにちがいない。 関係あるかどうかはわからないが、両親が離婚した小学生の頃から、徐々に学校の成績が下がり、低学年の頃には、クラスでは上位の成績だったのに、今では、真ん中くらいにまで下がってしまった。 【小生の部屋の大掃除】 どうした風の吹き回しか、我々が「荷物」を受け取りに「フエカイ」へ行っている間に、かみさんひとりで小生の部屋の大掃除を始めていた。こんなことは滅多にないことだが、家具なども動かして、「徹底的に」掃除機をかけていた。昼食前には、とても終りそうもなく、結局、午後延長戦ということになったのだが、子供たちにも手伝わせてモップ掛けもしてくれた。 少しくらいは手伝わないと申し訳なかったのだが、面子を傷つけるのではないかと、見て見ぬ振りをして手出しはしなかった。 雑然としていたものを、あれこれ元に戻すと、たいした代わり映えはしないのだが、猫たちが走り回るたびにたっていた埃は減ったような気がする。こところ鼻水グジュグジュの猫たちは、気分がよさそうで、うれしそうにはしゃぎまわっている。 これで、小生の部屋だけは、「年越し」の準備完了である。 そういえば、今日から、日本の「企業社会」、「年末年始休暇体制」に入ったようで、インターネットの世界も、「留守番部隊」の苦労の程が見え隠れしている。大きな事件など起こらねばいいが。 ■
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by payarn
| 2009-12-26 19:07
| 日記
2009年 12月 25日
今朝6時45分現在の我が家の外気温は、14.6℃。
今朝の天気、雲ひとつない快晴。 気象観測所の今朝の最低気温は、14.1℃。 昨日の最高気温は、28.1℃。 夜半過ぎ、下半身が冷えて目覚める。カーペットの上でそのまま「居所寝」したためだが、その後、腰から下はなかなか煖まらないばかりか、鼻づまりもあって息苦しい。このところ猫どものグズグズもひどくなって来たようで、染ったかもしれない。 起きたり寝たり、玄関から外に出てみたり、あれこれやっては見たが、就眠できず、ニトロを使用。効果なし。素手で、尻をあたため、やっとウトウトし、目覚めは6時半過ぎ。下半身のところどころや心臓が「痛い」。「血栓」の徴候でなければいいが。 午前3時の血圧、159-88-59。ニトロ使用後、3時半、142-96-51。 【加藤さんから、X'masカードなど届く】 四半世紀近く前から、懇意にしていただいているバンコクのロジスティック会社の社長さんから、X'masカードが届いた。我が家にとっては珍しいことである。18日の消印になっているのだが、英文の宛名が誤解されて、どこかで迷走していたらしく、普通なら、2~3日で届くところを、バンコクから我が家まで、まるまる1週間も要してしまったようである。 同封されていた、富士山の写真満載のデスクトップ・カレンダーにかみさんも感激。 加藤さんの会社、メジャーではないとは思われるが、信頼できる引越し会社で、日本からの都合2回の引越しは、すべてこの会社にお願いした。 現在の社名は、「横浜システムムーバー(株)」。ググれば、連絡先などは見つかると思います。日本から、あるいは、日本への引越しのご予定のある方は、運送会社の選択肢の中に、是非いれて上げてください。 日本から2回目の引越し(長野からチェンライまで)も、気持ちよく引き受けてもらえましたので、京浜地区以外からでも、サービスしてもらえるものと思います。 【メチャンへ、月賦支払いなど】 洗濯機の月賦、借金が年を越すのは気持ち悪くて、来月分もあわせて繰上げ返済した。100バーツ負けてくれたらしい。実際の金利分よりは少ないにちがいないが、繰り上げ返済したところで、ホッカブリされてしまうのが普通だった、タイの田舎でも、国際感覚の商法が少しづつだが滲透してきたような気がする。 かみさんの発案で、円高の恩恵を少しでも生かすべく、ほんのわずか、「天引き預金」ということで、「貯蓄銀行(タナカーン・オムシン)」の口座へ移しておいた。 ATMカードもないし、窓口は年中混雑しているこの銀行に入れておけば、大抵のことでは、無駄遣いできなるわけで、悪いアイデアではない。 そろそろ昼食時間、いつもの、「パッタイ(タイ風焼きそば)屋」ばかりでは能がないので、というか、このところ味が落ちたようで、前回食べたとき、なんとなくおいしくないかったため、銀行前付近で、手頃な食堂を探して見た。いざ探し始めると、なかなか見つからないもので、2人とも納得できそうな店も見つからず、お互いに空腹で不機嫌な気分が、「一発触発」寸前だったのだが、目的もなく町中へ出た。 なんとなんと、偶然とは恐ろしいもので、大分前から「廃業」になっていた、「パサーン」の「バーミー・ムーデーン屋」が、町中で新規開業しているのを発見。コロコロと太ったまだ若いおかみさんの姿を見つけて、急停車。ここの「バーミー(タイ風中華そば)」は、2人ともお気に入り。今度の店は、広さは以前の半分もないほどだが、壁にかかっている「中国人好みの大きなポスター」や額に入った家族の写真なども、以前のまま。ただ、大通りに面して場所がよさそうだったわりには繁盛していなかった以前の店は、おかみさんひとりで切り盛りしていたが、今度のところは、繁盛しているようで、若い店員が傭われていた。ご主人も、奥の方から現れて、ファンの調整などしていたが、「離婚」ではなくて、よかったよかったと思った。前の店の最後の1ヶ月あまりは、ご主人が店に出ていて、おかみさんの姿が見られず、正直心配していた。おかみさん、いくらか痩せたように見えたが、病気でもしていたのかもしれない。何れにしても、元気そうで、よかったよかった。 アカの他人とはいえ、「袖すりあうも他生の縁」というわけで、こんなことでも、うれしいことである。 場所は、メチャン郵便局の信号機のある交差点を、警察署のあるロータリー方向に入って、最初の交差点を右折してすぐ。前と同じように、歩道上に調理用の屋台を出していて、「餃麺」とかいてあるので、すぐわかるかと。他人様におすすめできるほどの店ではないが、「夜鳴きそば」くらいのつもりでいれば、間違いないかもしれない。チャーシュー・ワンタン麺が、100円弱。麺をふた玉にしてもらっても、100円ちょっと。 満腹になったら、2人とも、ご機嫌。まるで、幼子とおんなじ。 電話料金、支払い。今月は比較的安くて、400バーツ強。 ピックアップ、燃料補給。バイオ・ディーゼル(B5)、満タンにして860バーツ。燃料幾らか値下がりしてきたようである。大通りを走る車が多くなったのも、燃料費の値下がりも影響しているかもしれない。大通りの車の多さだけは、年の瀬らしくなってきたか。大通りでUターンするのも容易ではななってきた。 最後に、市場によって、夕食用の「ケーン・ソム」の材料、「パク・カシェット(水おじぎ草)」、「ドーク・カラム(カリフラワー)」などを調達。 主役の「パ・ショーン(雷魚)」は、台所脇の「生簀」に生かしてある。 市場のはずれの、いつもの駐車場、母屋の屋根換え工事中。昔は、普通の高床式の「しもた屋」だったが、塀を取り壊して有料駐車場をはじめ、今ではすっかり夫婦して専業になってしまった。それにしても、駐車料金5バーツというのは、いかにも、お人好しのタイジン気質。近くには10バーツのところもあるが、相変わらずである。これでは、母屋を建替えるのは何時になることやらである。近くまで行くと、5分か10分しか止まらない場合でも、利用することにしている。この夫婦の心意気が気に入っている。 ■
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by payarn
| 2009-12-25 19:42
| 日記
2009年 12月 24日
今朝6時30分現在の我が家の外気温は、14.5℃。
天気は、薄曇り、朝焼け。 気象観測所の今朝の最低気温は、13.9℃。 昨日の最高気温は、28.0℃。 【灌漑用水】 野菜栽培が盛んになった現在でも、メカム川流域の農業、作付け面積からすると、相変わらず「米の栽培」が群をぬいている。 年が明けると、すぐに本格的にはじまる「乾期作」の「米作り」のための灌漑用水の整備作業が、流域の受益者たちによって始まった。 今年も、去年ほどではないとは言うものの、水不足気味のようである。 「取水堰」の「かさ上げ」、かんがい用水の浚渫がはじまった。 数年前に、「馬岩堰(ファーイ・パー・マー)」の改良工事が計画されたときに、従来からの堰の上に、1mほどの高さのコンクリートの「かさ上げ」をする話が出たのだが、恒久的な「かさ上げ」は、灌漑用水にさらに一層土砂が流れ込むという理由から、土砂排出ゲートの拡張と新設だけということになってしまった。流域の農民たちからは不満も出たようだったが、恒久的な「かさ上げ」によって、土砂が堆積し、増水時水害の心配があると説得され、シブシブあきらめたようである。 そうはいっても、これからの渇水期、手を拱いていては、水不足になるのは明らかで、毎年のことだが、この時期、人海戦術、竹と「土のう」による「かさ上げ」を行っている。今日も、数百人の農民たちが、竹の杭を、数本づつ持ち寄って、作業をするとともに、灌漑用水内に「メコー(パワーショベル)」も入って浚渫作業が始まった。 一時的に、灌漑用水の水門が閉鎖され、水が干上がるため、魚とりのチャンスとばかり、「俄か漁師」たちが殺到することになる。 灌漑堰の近くの部落からやってくる、「ムスー(ラフ族)」の漁は、圧巻とも言える。女性ばかりの団体、30人ほどが、水の干上がりかけた用水内に入り、上流から下流に向かって「手捕まえ」。このあたりでは、一切道具を使わないこのような漁法を「グォム・パー」とよんでいるが、彼女たち、手慣れていることもあって、けっこうな収穫である。さすが、「狩猟採集民族」の末裔だけのことはある。 我が家からも「アイ・タン」のほか義姉、かみさんの3人が、投網や四手網を持って出かけて行き、昼過ぎまでに5キロ近い雑魚をとってきた。 【『ウィアン・クムカーム』】 晴れていても、なんとなく肌寒く、庭の草木に水遣りしたあとは、窓際の陽だまりで日向ぼっこしながら読書。 『เวียงกุมกาม(สรัสวดี อ๋องสกุล)』 (”ウィアン・クムカーム” サラサワディ・オーンサクン著) 初版は、15年ほど前に刊行された研究論文(?)。 「ウィアン・クムカーム」というのは、ランナー王国の初代マンライ王が、チェンマイに移動する前に、現在のチェンマイの南、およそ20kmのところに建てた「ランナー」の最初の都である。 ごく短期間で、「ランナー」の王宮は、より適当な場所が見つかったということで、現在のチェンマイに引っ越している。洪水の被害にあって、現在のチェンマイの地に移ったと思い込んでいたが、まちがいだそうである。新しい都にうつってからは、「ウィアン・クムカーム」は、対ビルマ対策の前衛基地の役割を果たしていたらしいが、その後、「ランナー」が、ビルマに占領されていた200年ほどの間の度重なるピン川の氾濫によって、すっかり土砂に埋まってしまい、長い間忘れられていたものらしい。最近になって調査も進み、都邑趾や多くの寺院跡などが発掘され、遺跡公園なども整備されて観光客も訪れるように就っているらしい。 この本を読んでいて思いついた余談だが、・・・。 「ランナー」の主たる住民のことを「コン・ムアン」とよんでいて、今でも、北タイの平地のタイ人は自称「コン・ムアン」ということになっている。 「タイ・ユアン族(チェンマイ人)」、「タイ・ルー族」、「タイ・ヤイ族」などによって構成されているわけだが、この中で、チェンマイ語を話す「タイ・ユアン族(チェンマイ人)」というのは、どうやら「タイ・ルー族」、「タイ・ヤイ族」の人たちと先祖を同じくする「タイ系」の民族に「ハリプンチャイ」のモン族の血や文化が入り込んで形成されたものと思って間違いなさそうである。雲南の「シプソンパンナー」あたりには、「タイ・ユアン族(チェンマイ人)」としては、「タイ・ルー族」のような直接の祖先はいなさそうである。拙稿、『 コ ン・ムアン 』 は、そういった観点から改訂の必要がありそうである。 ■
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by payarn
| 2009-12-24 20:36
| 日記
2009年 12月 23日
今朝6時30分現在の我が家の外気温は、15.0℃。
天気は快晴。 気象観測所の今朝の最低気温は、15.6℃。 昨日の最高気温は、28.4℃。 早朝5時、身体が熱く汗をかき、念のためと思い、血圧測定のために早起きする。 脈拍は、就眠態勢のままなのか、少なめで57くらいだが、血圧は高くはない。(151-96)。室温、21.5℃、外気温、15.2℃。猫たちの寝相をみても、丸まって、しかも固まって寝ているなどということもなく、それほど冷えてはいないのはわかるが、汗をかくほどではないはず。やはり、どこか異常かも? たいした肉体労働とも思われないが、昨日、チャムトーンの養魚池の島の「サラー」まわりに、猫のトイレ用の砂を補充したのが応えたか? ![]() 【メサイへ買い物】 久しぶりに「メサイ」へ。 目的の買い物の主なものは猫缶なのだが、メチャンの「ロータス」だけでは能がないので、メサイの市場詣でを兼ねて、メサイの「ロータス」へ。 メサイの朝の市場「ピヤポン市場」の空き地の整地が大分進んでいた。駐車スペースが見つからなかったため、この空き地の一角に駐車した。1万平米はありそうな広い土地で、以前は、観光バスなども止まっている駐車場だったが、すっかりほじくり返されて、何か大きな建物が出来そうな気配である。 猫缶以外に、「すき焼き」の材料なども買い込んだ。今夜は、「すき焼き」である。 【すき焼き】 今日の夕食は、「すき焼き」。日本風の「すき焼き」そのままだが、我が家の「タイ人」の口にあわせて、砂糖の使用量は、幾らか控えめ。 かみさんの拒絶反応もあって、牛は、バターの香りだけで肉は、豚。赤身半分に、あとは三段肉。市場で見つけた「春菊」の「ぬき菜」は、香りもよく最高。今日は、「糸こんにゃく」が手に入らなかったため、「ブロックこんにゃく」をひも状に切って、唐辛子をぬくためにもみ洗いし、下ゆで。「豆腐」は、炭火で焼いた「自家製焼き豆腐」。「エノキ」は手に入ったが、「しいたけ」は手違いがあって買うのを忘れた。肝心の「長ネギ」は、先日、「MAKRO」で買っておいたもの。言ってみれば、この「長ネギ」が、メサイの市場の「春菊」を呼び寄せて、今夜の「すき焼き」になったようなもので、あとの材料は、「おまけ」のようなものである。 こんな我が家の「田舎すき焼き」だが、「とき卵」で食べるアツアツは、ちょっとした「料亭の味」気分。(いい気なものである!) とはいえ、今日の「割り下」は、「煮とばし」が少々たりなかったかもしれない。酔っ払ったかな? 日本の「すき焼き」は、当地風にいうと、「ケーン・ケー・チン・グア・ベープ・イープン(แกงแคชิ้นงัวแบบญี่ปุ่น)」ということになるのだそうである。日本語に訳すと、「日本風の牛肉入りランナーごった煮」。やや汁気が多いとはいえ、北タイの伝統料理の中にも、日本の「すき焼き」に似た「ケーン・ケー」なる料理があったわけである。 道理で、家族誰一人拒否反応をしめすものがいなかったわけである。 とはいえ、調理しながら食べるというのではなく、特大中華なべで、8人分一気にというのには、無理があるような気がする。以前のように、「ケイ」と「ノンカン」と「クイ・タム」が加われば、11人になってしまうことを考えれば、まだいいか。 ■
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by payarn
| 2009-12-23 21:25
| 日記
2009年 12月 22日
今朝6時50分現在の我が家の外気温は、17.6℃。
天気は霧。雨があったあとで、冷えこんだためか。また、寒期らしくなってきた? 気象観測所の今朝の最低気温は、15.6℃。 昨日の最高気温は、28.4℃。 なんとなく眠れぬまま、深夜起き出し、100MG近い「itunes」の続きのダウンロードのため、パソコンを再起動をする。モニターだけは消しておいたが、そのまま朝まで動かしっぱなし。寝不足がひびいたりして、今朝の寝起きの血圧は、最高血圧が180近くで、いつもより20以上高かった。危ない危ない! 【冬至】 今日は「冬至」、1年中で一番、日が短い日である。といっても、北タイでは、「かぼちゃ」を食べるならわしなどもなく、何にもない「普通の日」。ただ、天気予報の最低気温だけは、早くも、「春」に向かって上り坂に入りつつあるようである。 庭では、去年と同じように、わずかばかりだが「小梅」が開花し、「ミニすもも」の実は、小指の先ほどの大きさになったが、今年も「サクラ」に花芽がつかないのがさびしい。 そのうち、「春」かなと思うまもなく、一足飛びにやってくるのが、北タイの猛暑の季節「暑期」である。穏やかな気候を満喫できるのも、あと1ヶ月くらいの間だけである。 【WEBラジオ】 TBSのWEBラジオ『荒川強啓の「デイ・キャッチ!ランキング」』、もう、何年も聞き続けている。この番組が特に気に入っていたというわけではないが、わずか20KBくらいの回線速度でも、途切れ途切れになることもほとんどなく、そこそこの音質で聞くことが出来る唯一のインターネット・ラジオのニュース番組だったからである。 それが、昨日突然、WEBラジオでの配信が、先週いっぱいで終了し、「PODCASTING」とやらでないと、聴けないことが宣告された。詳しくは、「デイ・キャッチ!ランキング」のホームページを見ろとのことで、ホームページをみてみると、「itunes」系の配信方式のようで、なんとなく、「itunes」の最新版をダウンロードすることに。 ついうっかり、すでに最新版が取り込んである「QuickTime」の抱き合わせダウンロードになってしまい、90MG以上、延々10時間近い時間をかけてしまった。 「itunes」をインストール後、あれこれやって見ると、結局、「QuickTime」だけでも視聴できることがわかったのだが、不安に思っていたとおり、途切れ途切れになるは、勝手に中断してしまって、再スタートすると、振り出しに戻るはで、最低のことになってしまった。 ブロードバンドの時代、超のつくノロマのダイヤル回線ユーザーなど、念頭には置いていないようで、一日も早く、ADSLが使えるようになってもらいたいものだと思う。 ところで、「PODCAST」って、一体なにものか、調べてみたら、もともとは、「APPLE」の「IPOD」端末と「BROADCAST」を合成した新語で、『マルチメディア・データ・ファイル(音声データ・動画データなど)をアップロードし、RSSを通してWWW上に公開してあるもの』のことだそうである。例えば、ラジオ放送であれば、mp3などの音声データをアップロードしてあるだけのもので、従来のWEBラジオのように、ASXなどのストリーム・データにはなっていない。そのため、「QuickTime」のように一部のソフトをのぞけば、ダウンロードがすべて完了しなければ視聴できないので、FLASHなどのストリームデータの視聴とちがって、ダウンロード専用時間がむだになるわけである。 回線速度さえ、十分に早ければ、RSS経由ということで、ソースの更新があれば、更新された最新のソースを自動配信してもらえるので、「デイ・キャッチ!ランキング」のように定期的に配信されるソースには、便利なもののようである。 いずれにしても、ダイヤル回線では、1時間の放送内容を聴くために、さらに1時間のダウンロード時間が必要になるなんて、不愉快極まりない仕掛けである。従来の単純な「WEBラジオ」に比較すると、多くの新しい工夫がされているとはいえ、ただラジオ番組を聴くだけの小生にとっては、「進歩」ではなく「退歩」としか思われない。新しい技術、便利になる反面、複雑で、モウロク爺さんにとっては、迷惑にしかならない。 ![]() 【雨あがりの「松葉」】 一昨日の朝、久しぶりの「雨」がうれしくて、養魚池の端の枯れかかっている地面の雑草や竹の橋などと一緒にとった写真のうちの1枚。 雨の雫が、まだ、わずかに三本松葉の先にしがみついている。「松」の葉も、なんとなくうれしそうに見える。 このあたりで見られる「松(マイ・ソン)」といえば、赤松の一種(?)のこの「松」しかない。 暖かくなると、雨上がりの何日かあとに、この松の木の下に、日本でも見られる「アミタケ」や「タマゴタケ」などの「珍味」が顔を出す。 【猫の祟(たた)り】 『鍋島の猫騒動』ではないが、この辺にも「猫はたたる」という話があるらしい。 義弟・タウィのところに下働きで出入りしている近所の若者、猫が大嫌いで、日ごろ近所の猫たちを虐待していたらしいのだが、先日、庭先きに入ってきた近所の飼い猫を「鍬」で撲ちかましたらしい。やられた猫が、どれほどの傷を負ったか、それとも死んでしまったかは不明だが、その猫に仕返しをされたらしいという噂が、まことしやかに広まっている。 彼の連れあいの女性は、「フエカイ」の人で、「フエカイ」と「ノンギエン」を行ったり来たりしているらしいのだが、2、3日前のこと、仕事が終ってしこたまお酒を飲んだ後、「フエカイ」にいる連れあいをバイクで訪ねるために家を出て、ものの100mちょっとところにある、村境の道路の大きな段差の所迄来て、自損事故を起し、頭を打って瀕死の重傷、目下、チェンライ病院でICUのお世話になっているとのこと。ヘルメットも着用していなかったこともあり、しこたま頭をうち、脳内出血のため、多分助からないだろうとのことである。 この事故、「猫の祟り」だという噂でもちきりだそうである。 内心では、「ソムナムナー(สมน้ำหน้า:ザマー見ろ)」と思っている「猫党」も多いようだ。 このあたりにも、「猫が化けて出る話」が、あるらしいということを、はじめて知った。 以上、すべて、かみさんの話の聞き書きである。 ■
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by payarn
| 2009-12-22 17:32
| 日記
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