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Since May 26 2007 |
2008年 09月 12日
【 異常血圧 】
今朝は、寝起き後、胸痛が気になって、「舌下錠」を使用した。 効果があったのか、程なく「胸痛」は解消した。 食前の「血管拡張剤」は、省略。食後、「逆流症」用に胃の薬も使ってみた。 チャムトーンから、いつもより早めに帰宅したころから、薬が効いてきたのか、極端な低血圧症状。血圧測定をしたところ、なんと、上が68、下が48。立ちくらみがするわけだ。 危ない危ない!「水酸化アルミ」の服用は、当分止めにした方がよさそうである。 【「サマック氏」、再選ならず!】 今日、首相指名議会が、開催されたが、与党議員の総ボイコットで定数不足のため、17日に再度議会が召集されることになった。 昨日までの様子では、「サマック氏」が、すんなり再選され、居座るのではないかと思われていたが、意外だった。 これで、彼の再選の目はなくなったにちがいないが、どこかに、強力な「参謀」がいて、 「PPP(人民の力)党」だけではなく、連立与党のすべてに、「サマック氏」回避の指令が、下ったような気がしないでもない。もしかすると、ロンドンからのリモコンなのかもと思うのは、いささかかんぐりすぎかな? どうやらこれで、「解散総選挙」は避けられそうにもなくなった。 「解散」ということになれば、「旧タクシン党」は、四分五裂することは避けられない。 つい先日、補欠選挙で当選したばかりの、「ラオーン女史」も、1年間で3回目の選挙ということになり、他人事ながら、本当に、ご苦労さまなことです。 【「旧暦」は、ややこしい!】 明後日、14日は、日本や中国の旧暦では、8月15日、「中秋の名月」である。 それが、中部タイ、すなわち首都バンコクあたりの「陰暦」では、10月、チェンマイでは、11月、チェンライの陰暦では12月にあたる。 この陰暦の暦は、現在でも、戸とある五トンせいかkつの中に登場するくらいで、つい、数十年前までは、カレンダーはこれしかなかったわけである。 今では、普段、生活している限りは、さして不自由はないが、ちょっとばかり視野を外に向けてみると、実にややこしいことになっていることがわかる。 カレンダー・システムが異なるということは、文化的には「異文化」地域ということであり、日常使われる言語の相違とともに、国家としても別の国家だったということをあらわしている。 ところで、当地の陰暦12月は、「雨期」明けも近く、当地には「秋」という季節はないものの、「雨期」から「寒期」へ移り変わる季節に入ったこと示している。 陰暦12月は、「メカム川」を魚が遡上する季節である。 また、犬・猫などの動物の繁殖の季節でもある。 配偶者選びに、うつつを抜かしている犬・猫が交通事故に遭った無残な姿をさらしているのもしばしば見かける、悲しい季節の到来でもある。 【本地様、来宅】 いつものごとくに、さまざまなお土産を頂いてしまった。 その中で、今回は、娘のケイにと、寿司屋台用に「簡易巻き寿司作成器(?)」や「にぎり寿司用型」、「おにぎり型」など、タイでは絶対に手に入りそうにないものまで頂いてしまった。 「海苔」、「干ぴょう」、「桜海老」や「巻き寿司」にも使える「とろろ昆布」など、すぐにでも寿司に利用できる食材などなど。 また、最近では、チェンライでも手に入りやすくなったとはいうものの、わざわざ日本から納豆まで持ってきてくださった。 日本の納豆とタイの納豆をひと目で見分けることが出来る娘がいたら。もっとも、この17日には自動車免許証取得のために戻ってくるので、しばらくは「冷蔵庫」で眠っていていただくことに。 また、小生用にと、「産経新聞」の「日本人解剖-第3章ルーツ-」『縄文人か弥生人か』の掲載されているページをもってきてくださった。 小生が、ブログで、このあたりのタイ人を称して「縄文人」とたびたび書いているのが気になっておられたようである。 いまでは、「縄文人」が、日本の先住民であることは、ほぼ定説になっているようだが、弥生人とのちがいが、一覧表で掲載されているので、自分で評価してみると、小生自身も、6~7割方は「縄文人」に入っているのを見て苦笑してしまった。 裏表4ページ分の記事は、さすが「産経」で読み応えのある記事が満載されていた。 長野時代に購読していた新聞も「産経」で、我々世代には、「産経」の「正論」はお気に入りの人が多いように思う。 書きもらしてしまったが、面白い容器に入っているマルコメの『料亭の味』もいただいた。 味噌というのは、空気に触れると味が落ちるもので、味噌容器はなんとかならないもんかと思ったことがあったが、大きめのプラ製のチューブ上の容器とは考えたものだと感心。 この「マルコメ」の工場、長野時代の借家住まいのアパートから、歩いて数分のところにあって、その頃のことを懐かしく思い出した。 リーズナブルな値段の「料亭の味」は、愛用の味噌だった。昔のなかまに会えたような気がして、感謝感謝である。
by payarn
| 2008-09-12 22:03
| 日記
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