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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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Since May 26 2007 |
2008年 04月 02日
【 「梶さん」の葬式など 】 先月の27日に亡くなった「梶さん」の葬式は、亡骸が帰宅したのが、翌日遅くになってからだったこともあり、翌々日からはじまり、31日に「荼毘」にふされるまで、「仏教徒」ということで、当地の仏教儀式にのっとって行われた。 写真は、これから、1kmほど離れた火葬場への葬送行列に向かう「梶さん」のお棺だが、ごらんのとおり、チェンライの普通のスタイルそのままである。 遺影のすぐ左に少しだけ見えるのが、お棺である。 人影が写っている、この道は農道で、この先には人家はない。この道は、「梶さん」たちが、普段利用している表側の道が狭く、急坂があるため、屋敷の裏側の柵の外側に隣接していた農道を、葬儀が決まってから急遽整備した道である。ここから、チェンライ、チェンマイ間の118号線の大通りまでは、100mほどだが、その道路の1kmほどチェンライ寄りの道路から少し入った林の中に火葬場がある。 このお棺が乗っている「館(やかた)」を、「プラサート」、土地の言葉では「パサート」というが、火葬場まで遠い場合などは、小形トラックで牽引していくことが多いが、今回は、全くの人力で、綱引きロープのような綱を参列者全員で引いていった。ランナー・タイのレクイエムが流れる中、悲しさをいや増す葬送行進である。100人あまりの参列者だったが、日本人のお葬式としては、それでも多かった方だそうだ。同じ村内に葬式がかちあわなかったなら、200人以上になったことは間違いない。 日本人の参列者も、10人ほどはいたようで、初対面の方も多く、一人一人について、何かコメントを残しておこうかとも思ったが、チェンライの狭い日本人社会、プライバシーにもかかわることになりそうで、省略することにした。 チェンライあたりの田舎の葬儀というのは、死者の自宅で執り行うのが普通で、屋敷の狭い町場の人たちとちがって、お寺で葬式などということは滅多にない。 我が家のあたりのように、ド田舎になると、檀家の信者が忌み嫌うため、寺での葬式ということは絶対にありえない。とはいえ、「葬儀社」とか「葬儀会場」などというものはないので、屋敷地が狭ければ、家の脇の通りを通行止めにして会場の一部に使うことになる。 「梶さん」のお宅は、広い庭があるとはいうものの、車の出入りなど不自由だったため、アクセス道路の整備からはじまって、庭の「ブッシュ」なども大型の農耕用の重機できれいにならされていた。ただ、赤土丸出しになっているので、万一雨でぬかるむようになると、一大事だったが、少々ホコリが立つ程度で、幸い雨は、葬儀が終わるまでやってこなかった。 今日が、たしか「骨拾い」である(もしかすると、明日かも)。「骨拾い」は、近親者だけでするもののようで、我々はおよび出ない。坊さんの読経など簡単な儀式があるのだろうが、いまだに経験したことがないので、詳しいことはわからない。 ご親族の方は、「分骨」されるとか言っておられたので、一部は日本につれて帰られるのだろうが、残った「お骨」がどう始末されるのかはわからない。山野か川に、「散骨」するのかもしれない。当地では、華僑など、一部の人たちを除けば、墓地はなく、普通は「お墓」というものは作らないし、家に持ち帰ることなど絶対無い。「位牌」などというものはないし、当然、「戒名」などもない。ただ、「梶さん」の「お骨」の一部は帰国するわけで、「梶さん」には、「戒名」も「位牌」も作られるにちがいない。 当地の「死人」を極端に恐れる風習は、仏教以前の原始時代から続いているらしい。「死霊」に対する恐怖心は、日本の田舎でも、我々の子供時代には残っていたような気がする。 死後、100日目に「100日供養」を行うが、「死人」の供養ではあるのかもしれないが、「死霊(ピー)」の慰撫である意味の方が大きい。 「100日供養(タンブン・ロイ・ワン)」が終わると、あとは、「年忌法事」など特別の仏事は一切ないが、毎年、新年の、日本風にいうと「施餓鬼供養」のような仏事があり、故人の好きだった食べ物や嗜好品などを寺に持って行き、坊さんにお経を上げてもらう。 葬儀などについては、おおむね上記したようなことだが、当地では、「精霊信仰」も健在で、何かあったときとか、故人が冥土で、苦しんでいないか知りたいなどというときには、「祈祷師」を訪ねて「お伺い」を立てるなどということもある。遺産相続でもめたりすると、故人の意見を聞くなどということもあるようである。 「恐山」の「イタコの口寄せ」と同じである。 もうひとつの別の葬式に参列していたようで、偶然、火葬場で、顔なじみの「祈祷師」の女性に出あって挨拶を交わした。チェンライでは、名の知れた「イタコ」である。 こんな記事は、翌日くらいまでには、書き込みしなくてはいけないことだとは思いますが、その気にならず、葬儀中も、ほとんど写真を撮らなかったため、葬儀の様子をお知らせ出来るような写真がありませんでした。
by payarn
| 2008-04-02 18:11
| 日記
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