ホーム・ページ
ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
最新の記事
以前の記事
お気に入りブログ
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
Since May 26 2007 |
2007年 07月 26日
【 「ケイ」のこと 】
ケイ、先方の親がやってくるのは、明後日だというのに、まめに、ケイとしては、最大限の努力をして、あちこち掃除をしている。 来客が利用するかもしれない、1階のトイレは、ひときわ念入りに磨き上げている。 とはいっても、1階のトイレを利用しているのは、義父と義姉だけで、日常的に清掃していないところだけに、思うようにならないと見えて、ブツブツ文句を言いながら。 我が家では、1階の玄関先ベランダに来客用のソファを置いてあるのだが、ここも、磨き上げてあって、下手に足跡などつけようものなら、カミナリが落ちる。 本気なんだと思う。 明日は、みんなで手伝って、あちこちの大掃除になるのかもしれない。 「恥」知らずな連中も、こんなときには、人並みに「恥」の意識が目を覚ますらしい。普段から、こうであって欲しいのだが・・。 【 家族観など 】 「白桃」さまのコメントを読ませてもらいながら、そうなんだ、普通の日本人というのはと。 自分の過去をふり返ってみても、大して資産などないにもかかわらず、だまされてなるもんかとかなり意識していたことを思い出す。 やつら、俺の金が目当てにちがいないなどと、被害妄想におちいったことすらあった。 このあたりの農民というのは、たいした努力もしない変わりに、金銭に対する執着心がそれほどではないということは、あとになってわかってきたことである。 だから、いつまでたっても貧乏しているわけである。 農民同士の結婚しか知らないのだが、相手の家庭の資産状況など、問題にする話は聞いたことがない。 大した資産など、持ち合わせていない農民同士、しかも、親の所有する田畑が、そのまま子供に相続されるとは限らないとなれば、結婚相手を選ぶ基準など、好きか嫌いかしかない。若者同士が、お互いに惚れちゃったら、親も仕方なしである。 血の気の多い若者、親が気に入らないと阻止するなど考えられない。 唯一、残された手段としては、「祈祷師」に別れさせてもらうくらいしかない。それとて、半分は「迷信」だと思っているくらいで、あてになど出来るわけがない。 外に対しての家族の絆は、ばかにできないくらいなのだが、家族内の構成員同士のつながりは、日本と比べると比較にならないほど希薄である。日本だったら、よそ者同士が、寄り集まって生活しているようなものである。それは、日本のような「家」感覚がほとんどないということからもいえる。 従って「家系」などということも問題にされることはない。 近親者に殺人を犯して死刑になったものがいようと、「AIDS」などで死んだものがいようと、致命的な問題にはならない。 神さんの祖父は、長い間、この村の村長(ポー・ルォン)を勤めてきた有力者だったが、かみさんはおろか、その長男である義父も、全くその恩恵によくしたことはなさそうである。そのことに触れれば、「関係ない」の一言が返ってくるだけである。在任中はともかく、辞すればただの人である。 日本とくらべると、国家や民族や家に束縛されて生きる人というのは、ごくごく少数派に過ぎない。 国王ですら、支配者・権力者ではなく、慈悲深い国民の父親なのである。 「タイ」とは自由を意味するなどというタイ人もいるようだが、これはちがうにしても、国民一人一人の自由度は、日本人には想像が出来ないほど大きい。このことは、社会全体についてもいえることである。 弱小な子供にさえ、制度上はともかくとして、日常生活においては、さまざまな自由が与えられている。当然、その見返りとして、幼い子供でも、大人と同じようにこなさなければならない仕事は多い。3才の子供が、自分の衣服の洗濯をしなければならないなどということは、日本人には想像も出来ないことだろうと思う。 家族として暮らしている以上は、幼児といえども、手伝えることはしなければならないのが、タイである。 そのようにして育った子供が、結婚適齢期になり、決めた相手を、大人が口出しできる範囲には、おのずから限界がある。 たとえ、将来が不安であったとしても、忠告する程度で、阻止などできようはずはない。 所詮、親子といえども、この程度のつながりしかないのである。 親から見て、相手に不服があったとしても、若者たちを引き裂くことなど出来る相談ではない。 当事者に娘を持つ日本人の親として、つくづく、日本との生き方のちがいなどを痛感した次第である。
by payarn
| 2007-07-26 20:44
| 日記
|
ファン申請 |
||