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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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2012年 01月 31日
今朝5時20分、我が家の外気温は、17.6℃。天気、晴れ。
農業気象観測所の今朝の最低気温、17.9℃。昨日の最高気温は、30.6℃。チェンライ測候所の最低気温は、18.2℃。 華北西部に低気圧が発生したのが影響したのか、北タイは急に暖かくなった。「モー」にとっては「天恵」だったかもしれない。 朝のうちは曇っていて降りそうだったが降らなかった。昨日ランパーンのお葬式に出席した義姉の話だと、道中パヤオから先では雨だったそうだったが、このあたりではそんな気配すらなかった。 気象局の週間予報でもこの先ずっと「COLD」から「COOL」に変わった。もうすぐ「立春」、当地の今年の寒さもこれで一段落ということかもしれない。 (2012 / 01/31 / 01:00) 「タイ気象局天気図」 より. 【「モー」に奇跡 !】 「モー」に奇跡が起きた。今年最初の「墓穴堀り」かと、覚悟を決めていたが、どうやら、しのいだようである。 昨日クリニック帰ってきてからすこしづつ快復してきたようで、夕方には「フィスカス」の缶詰だけだが、かなり食べられるようになった。1回に食べる量は少ないがたびたび食べさせているうちに目に見えて元気が出てきた。生きようという意志が感じられる。寒さも和らいできたのも「天恵」か、「三途の渡し守」に、追い返されたのかもしれない。一時は、ヨロヨロとして、歩くことさえままならなかった「モー」が、食事の準備を聞きつけて走りよって行く。 嬉しい。たとえ猫1匹の命とはいえ、人間の手だけでは何とかすることは出来ない。当の猫に生きようと、もうひと息頑張ろうという気にさせてくれる何者かの意志のようなものがなければ、あのまま「あの世」行きだったにちがいない。 たしか、「モー」は、何年か前にも、かなり重篤な病気になって命を落とす寸前になった記憶があって調べて見たら、1度ではなく、2度くらいは命拾いをしたようである。あんまり嬉しいので、その1回目の時の日記の一部を、以下に転載しておくことにした。 『2009年11月21日の日記』から 「イ・モー」は、昨日クリニックで処方された、「肺の中の水をとる薬」とかいう薬が効いたのか、深い呼吸が出来るようになり、大分よくなってきたような気がするが、まだ食べられないようである。昨夜は、キックが「ポーン(ป้อน)」し、今朝はかみさんが「ポーン」していた。(注:「ポーン」とは、赤ん坊や病人など、自力で食べ物を食べられないものに、食べ物を口に入れて食べさせることを言う。) 駆虫薬も処方されたのだが、こちらの方は、回復の具合を見ることにして後日使用することに。 「イ・モー」に回復の兆しが見え始めたのに、ほかの猫の症状が重くなりはじめたような気がする。 「ブン・ティン」は、夜の猫缶を食べなかったし、「サムリー」の、鼻水の量も増えたようである。 「猫の流感」が猛威を振るう寸前のように思われるが、寒さをひかえて心配である。 医者からは、病気の猫を、出来るだけ隔離をするように言われているが、1匹か2匹くらいなら、隔離も出来ないことはないが、重い軽いの差はあるにしても、22匹、ほとんどすべての猫に何らかの症状が出ているわけで、「隔離」などしても意味はないわけである。 成り行きに任せるしかないのだが、それにしても「ケセラセラ」と達観できれば楽なのだが、いかんせん、人間が出来ていないのでそれも。 『禅の知恵-心と体に効く生き方入門(1997学研)』など読んでみて、ああ、こう云う風に出来ればなんと幸せなことと嘆息するばかりである。 チェンライから戻ってすぐ、「イ・モー」をメチャンの「女先生」のところへ連れて行く。 肺の薬を飲ませた後、吐かなかったかと聞かれたが、別段目に見えて不都合はなさそうだったし、息遣いが楽になったのか、深い息が出来るようになったことを告げた。 今日も、首根っこをつま見上げて、まだ脱水症状が回復していないので、昨日と同じ「点滴」をしてもらう。 帰宅後、「ロータス」で買った、幼猫用の粥状の餌をやると少しだが食べたようである。水も幾らか飲んだらしい。昨日よりもさらによい方に向かっているようで、ひとまず安堵。顔つきを見ている限り、小さな命、ひとつ拾ったかなと思われるような柔和な顔つきになってきた。 こちらを向いている顔に呼びかけると、少し涙目の潤んだ眼差しで、両目ウィンクをしてくれる。こちらの目の中も、なんか水気が多くなってくる。 「モー」は、やはり腹をすかせていたのか帰宅を待っていたようで、食は細いが、「フィスカス」の缶詰を食べた。 だましだましでも、すこしづつでも頻繁に食べさせて、元気付けてやらなければ。ある線を越えて食が進むようになり、下腹部のへこみがとれれば、しめたものだが、今のところ手放しで安心できるところまでは行っていない。「一喜一憂」である。 【小林さん宅訪問】 ご招待を受けて、娘夫婦も同伴して、チェンライ市内旧空港近くの小林さん宅訪問。 日本に居るのではないかと錯覚するような豪華な「お寿司」をご馳走になった。 寿司タネは提供して、日本料理の腕を信頼できる市内の日本料理店に依頼して握らせたお寿司だそうである。 「お寿司」のほか、「源平酢のもの」や「洋風サラダ」など、日本の家庭でなくては味わえないものや、レストラン並みのお手製の料理などもいただいた。さすが日本の女性の手料理、外でいただいた日本の料理としてはチェンライでははじめてのもだった。 食事の前に、お宅の内部をスミからスミまでご案内いただいたが、さすがに建築のプロが建てられた家で、使用人の住まいやゲスト用建屋、車椅子ようのスロープを備えた玄関など、必要充分と思われるような設計で、室内には什器備品、家具調度一流のものばかりで、恐れ入ってしまった。日本から調達什器などもあれこれ備わっていた。住み心地は、日本に居るのとまったく変らないのではないかと思われる。 何はともあれ、平屋作りなのがいい。毎度のことながら、かみさんは、すっかり恐れ入ってしまい、恐い顔をして我が家が2階建てなのに不平タラタラ。宅地が余程狭くない限り、日常生活に不便な2階建ては、失敗だったと反省しているが、今さら建て直す元気も資力もない。 「ハイソ」という言葉があるが、経済的にはともかくとして、皆さんの明るい大らかな人間性には、本当に心から羨ましく思われた。チェンライに来て以来、こういう方々ばかりにめぐり合える小生は、バチがあたらなければいいがとおもわれるほどの、幸せものだと思う。 飼い犬の「KAMUI君」ものびのびと育って幸せそうだった。 なにぶんにも生活環境が異なるわけで、嫌がられるかもしれないが、末永くおつき合いいただければありがたいと思う。 お土産に、「KAMUI君」が、食べられなくなった高価な獣医ご用達のペット・フードなどいただいて、2時過ぎお暇した。 下の写真は、8才になる由緒正しい血統犬の「KAMUI君」。珍しい犬種だそうである。 食べ物アレルギーで悩んでいたのがやっと解決したようでご家族の皆様もひと安心。 【我が家の猫たち】 今朝は「パンダー」は不在だった。 「ポーイ」はすっかり元気になった。
by payarn
| 2012-01-31 19:58
| 日記
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