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2010年 02月 01日
今朝6時45分、我が家の外気温は、15.3℃。今朝の天気も、快晴。
農業気象観測所の今朝の最低気温は、14.6℃。昨日の最高気温は、30.6℃。 これから日が昇ってくるあたりの空、ハケで刷いたような薄い雲が、茜色に染まっていた。 【春よ、来い】 冬至から40日が過ぎた。気のせいか日の出が早くなったような気がして調べてみた。 今日の日の出:6時56分、日の入り:18時12分、日長:11時間16分。日長も、冬至の頃とくらべて、15分前後長くなっている。 もうすぐ、「立春」。1ヶ月もしないうちに、最低気温が20℃を下回らない日がやってくる。日本風にいえば、「春」は、もうすぐそこに来ている。「ユーミン」の『春よ来い』が聴きたくなって、聴いてみた。 キャンディーズの『春一番』でもいいのだが、なぜか今日は、ホーム・シックでもあるまいに、『春よ来い』の気分だった。 不謹慎なことだとは思ったが、中学卒業前、お別れ記念のサイン帳に、『沈丁花』と、意味深な言葉を書いてくれた「片思いの君」を思い出しながら聴いた。 50年以上昔の追憶(おもいで)である。 女々しいといわれようとも、棺桶に入るまで、風化しない情(こころ)というものもあるのである。 「著作権」問題になるかもしれないとは思ったが、歌詞全文を載せておくことにした。 作詞・作曲 松任谷由実 淡き光立つ 俄雨 いとし面影の沈丁花 溢るる涙の蕾から ひとつ ひとつ香り始める それは それは 空を越えて やがて やがて 迎えに来る 春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき声がする 君に預けし 我が心は 今でも返事を待っています どれほど月日が流れても ずっと ずっと待っています それは それは 明日を超えて いつか いつか きっと届く 春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く 夢よ 浅き夢よ 私はここにいます 君を想いながら ひとり歩いています 流るる雨のごとく 流るる花のごとく 春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき声がする 春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき 夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く 春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき声がする 春よ まだ見ぬ春… 【『学校へ行こう!』】 バンコクのインド人街のパフラット市場の位置を確認したくて、バンコク市内地図を探していて、『学校へ行こう!』という冊子を見つけた。 「ながの学校ガイド作成委員会」というところが、多分,税金を使って作った学校案内である。 発行された年の2001年頃に、長野市役所の外国人担当窓口のカウンターにおいてあったものである。 内容は、外国人とのハーフも小学生の就学をすすめるための、母親たちの体験談を、日本語をはじめ7ヶ国語に翻訳して掲載してあるものである。 内とびらには、体験談・用語集ということで、学校行事などの用語集も掲載されている。 この冊子を手にした直後にも、タイ語で書かれているタイ人の母親の体験談などは、、よんでいるのだが、改めて読んでみて、この冊子のこともさることながら、日本という国は、良きにつけ、悪しきにつけ、タイとは全く異なる国だなと思われた。 この体験談の中にも書かれていることだが、タイには、子供の不始末などで保護者が呼び出されることはあっても、PTA活動のようなものはない。 皮肉で、「ロンリアン・ナナチャート(インターナショナル・スクール)」などと呼ばれて、多民族の子供たちが通っているメカム学校でも、このような冊子など作られてはいないし、山岳民族の子供たちに対する特別の配慮もされている風ではない。 父兄も教師も、放任主義というほどではないが、大抵のことには、思いのほか寛容である。そのせいでもあるまいが、タイの学校には、日本の学校であるような陰湿な「いじめ」行為はないようだ。 その代わりというのも変だが、小学生のうちから、隠れてではあろうが、酒・タバコなどということがあるやに聞いている。PTA活動などなかった昔の日本も似たようなものだったようだが。 そんなタイの子供たちだが、大人になったときどういう大人になるのかというと、一概にタイの方が悪いとは断定できそうもない。何故だろう。日本の大人たちも、よくよく考えてみる必要があるのではないだろうか。 この冊子の中に、日本人のお母さんが、入っていた。北原さんという方だが、かつて、バンコクでレポーターのようなお仕事をされていた方で、20年ほど前、たった一度だけだが、来タイしていた友人と一緒に、お会いしたことがあった。当時は独身だったが、2001年当時、この冊子の体験談によると、タイ人のご主人とご一緒に、2人のお子さんと故郷の長野に戻っておられたことを偶然知って、奇遇だなと思った。
by payarn
| 2010-02-01 22:46
| 日記
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