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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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Since May 26 2007 |
2009年 12月 08日
今朝6時45分の我が家の外気温は、14.6℃。
今朝も、濃霧。うす暗い朝。 気象観測所の今朝の最低気温は、13.6℃。 昨日の最高気温は、27.8℃。 下の写真は、今朝7時半過ぎの、「メカム学校前」の歩道橋付近。 視界は、200m弱しかなかった。まさに、「ムアン・ナイ・モーク(霧の邦)」 この少し南は、視界は、100mそこそこしかなく、ノロノロ運転。 【親戚の葬儀のこと】 書きたくないけど、書いておかなければならない。 昨日「火葬」を済ませた親戚の女性だが、病院が適切な処置をしていれば、まだ延命は出来たらしい。 死因は、腎臓結石がもとでの「腎不全」。 腎臓の具合は前々からよくなかったらしく、亡くなる前も体調不良を訴えて、近くの「トゥーン病院」へ。無料診療を適用してもらうためには、直接、県の中央病院であるチェンライ病院に行くわけには行かず、順番どおりにということで、郡レベルの病院へ行って、そこで入院ということに。 そこでは、治療効果も埒があかず、チェンライ病院への転院を申し入れたそうだが、受け付けてもらえず、亡くなった日の早朝5時になって、これは危ないというのでやっと転院ということになったらしい。 チェンライ病院でレントゲン撮影など検査の結果、腎臓の損傷はひどく、すでに手の施しようはないので、家につれて帰るようにと言われ、その日のうちに退院することになったのだが、帰途半ばで、息を引き取ったらしい。 チェンライ病院では医師が、どうしてもっと早くにこなかったかと言わんばかりだったらしいが、現在の医療制度からすると、医療費を自費で負担するつもりでもなければ、下位の病院からの申し入れがなければ、上位の病院へ転院するわけには行かないわけである。 家計に少しでも余裕のある家では、チェンライに2ヶ所ある大きな私立病院に入院させるようだが、この場合は、大抵、「病院保険(?)つきの生命保険」に加入しているようである。 従姉妹の女性、実は、50代半ばではなく、59才だったそうだが、極貧時代はずっと品行方正で通っていた旦那、両親が相次いで亡くなった頃から、「ハイ・ロー」などの博打にこりだして、今年のとうもろこし収入の5万バーツもすっかりつぎ込んでしまった、スッカラカンだったそうである。 亡くなった女性の衣類もほんの住居しかなく、「シン(巻きスカート)」は、たった、2枚しかなかったのだそうで、ひとことで「愚か者」の旦那といえばそれまでだが、なにがそうさせたのか、他人事とはいえ悲しい話ではある。 死んでしまって、「トラマン(ทรมาน)」から解放されて、かえって良かったのかもしれない。 【次姉宅にドロボー】 次姉・ブォパン宅は、一応同じ「パヤン部落内」だが、本村よりに、200m近く離れた7~8軒の家並みの内にある。 今朝方、いつもよりやや遅く、チェンライの生鮮食品市場から帰宅したところ、家の中が荒らされていて、「有り金すべて(?)」を窃盗にとられたらしい。 たまたま、野菜代金の1000バーツと旦那「クイ・ノイ」(町の助役)の給金、3000バーツが、家の中において出かけたらしいが、さんざん家捜しされて持って行かれてしまったとのこと。 炊事場のブロックの壁の一部が、窓代わりに開けてある作りらしいのだが、犯人は、ここから簡単に侵入出来たらしい。 次姉の家では、息子の「ボム」が、かわいがっている犬がいるのだが、近所の人の話だと、犬が夜間吼えたということもなかったそうで、顔見知りの犯行にちがいないということになった。 このあたりでは、たとえ泥棒癖のある者でも、近所には泥棒に入ることはないのがふつうだが、たまたま、すぐ向かいの家に、「ムショ」を出たり入ったりしている「悪人」が入り込んでいて、この男が、怪しいということになった。 この男、先だっても、我が家の近くの雑貨や「アー・ケーオ」の店で、コーヒー・パックを10袋ほど万引きしたところを、「アー・ケーオ」に見つかり、咎められたばかりだそうである。 こんなこと、日本であれば、すぐに警察沙汰になり、指紋をとったらいして簡単に捕まるのかもしれないが、このあたりでは、警察など当てに出来ないということもあるようで、警察沙汰にはならない。 【学校対抗運動会(キラークム)】 「メカム地区」と「メライ地区」のあわせて10校による、小学校の学校対抗スポーツ祭が、今日から4日間の日程で、「パ・クヮーオ(ป่าขว้าว)小学校」で始まった。 あまり気が進まなかったが、「キック」が鼓笛隊、「プッキー」は、我が家の娘たちでははじめてのことだが、民族衣装に身をかざり、行進の先頭での看板持ちを仰せつかったらしく、記念撮影を頼まれたため、出かけて行かないわけには行かなくなった。 上の写真は、出かける前に、我が家の庭で撮った写真だが、朝早くから「美容院」にまで行って着付けをし、お化粧してもらった結果がこれ。 「プッキー」は、このあたりでは、まれに見る「色白美人」なのだが、お化粧はご覧のとおり、いつものように「おてもやん」。 行進の集合場所に行って見ると、どちらを向いても「おてもやん」ばかり。これで、可愛いいとか綺麗とか思っているんでしょうかね。このあたりの「美意識」には、本当に疑問疑問! 校内だけの運動会(キラー・シー)とちがって、隣りのお寺(ワット・ワクァーオ)の庭や、学校への路地の両側には、数十軒の屋台店が並び、父兄の見物人も大変な数で、駐車場所を探すのも容易ではない。 直接、間接に参加する生徒の数も、「メカム学校」と「サンコン学校」がそれぞれ500人以上で、10校すべてあわせると、ほぼ2000人。 国旗掲揚のあと、揚げられた10校の校旗の真ん中には、10輪のオリンピック様の旗もあげられ、聖火の点火、花火の打ち上げ、発泡スチロール製のグライダーをぶら下げた「ワーオ(小熱気球)」も揚げられ、「スポーツ祭り」に相応しい開会式だった。 今日から、サッカー、バレーボール、ハンドボール、タクロー、ペイトン、それからリレーなどを含めた徒競走の6競技がはじまるが、そのほか、「カーン・チア(การเชียร์)」といって、「応援合戦」も表彰の対象になる。 今回の「運動会」で始めて気がついたのだが、メカム町一帯の行政組織も大きく変わりそうである。 隣り村の「メプーン村」は、しばらく前に「メカム自治区(テサバーん・メカム)」に編入されたが、学校名も今回から「ロンリアン・テサバーン・メカム」に変った。 我が村の所属する「メカム町」の大通りから東側にあたる「ロンコー村」、「サンナー村」、「モンクァム村」など、従来「メカム町」として、「オーポートー(行政委員会)」管轄だった地域が、近々、新しい行政自治区「テサバーン・サーイ・ナムカム」になるらしい。そうなれば、我が家のあたりは、勢いとして「テサバーン・メカム」に編入ということにならざるを得ないわけである。 日本でも、「平成の大合併」などということがあったが、時代が、ガラガラと音をたてて変って行くような感じがしてならない。もともと「異邦人」であることにはちがいないにしても、おいてきぼりになるのは、いい気はしないものである。 ちなみに「サーイ・ナムカム(สายน้ำคำ)」(メカム川水系)といえば、今から100年ほど前、国の政策により、現在のランプーン県「サンサーイ郡」あたりから、「タイ・ヨーン族」が強制移住させられた時の地域名である。このあたりでは、平地のタイ人の間の言葉でも、「タイ・ルー族系」の「コンムアン」が話す「ウー・ラオ(วู้ลาว)系」の北タイ語と「タイ・ヨーン族」の話す「ウー・ヨーン(วู้ย่อง)系」の北タイ語が混在していて、正確には「バイ・リンガル」なのである。 今度、「ウー・ヨーン系」が大半を占める地域が、まとまって新しい自治区になるわけだが、なんとなく、往時をしのばせるような自治区名が出現するわけである。 (追記) 今日午前中の徒競走に参加した「プッキ-」は、昨日の葬式の疲れと、今朝早くから何も食べていなかったことと、行列の先頭で、大人の靴をはいて、長距離歩かされたことなど、疲労が重なったようで、貧血を起こして倒れたらしく、後になって、悔し泣きに泣いていた。まだ、12才、可愛いものである。 【「テン・サー(แตงสา)」】 「オオミノトケイソウ」、「テン・サー(แตงสา)」が、たまたま手に入って、食べる機会があったので、写真をのせておくことにした。 後熟させたものが、過熟気味ではあったが、普通の「パッション・フルーツ」のような酸味はほとんどなく、そのままでも食べやすい「くだもの」のようである。 ただ、種子を気にしなければという条件つきだが。 【回線不具合(その後)】 今日も、今現在、TT&Tのダイヤル回線経由では、インターネット・アクセスが出来ない状態は改善されていない。 3BBへのメールは「なしのつぶて」なので、以前のTT&Tのカスタマー・サービス宛にもメールしておいた。
by payarn
| 2009-12-08 21:25
| 日記
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