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2009年 03月 11日
今朝の気温は、16.0℃。測候所の最低気温、昨日と同じ15.4℃。
雨なし記録更新中、123日。 14日、土曜日、20%雨予報復活(WUNDERだけ)。 【「発電機」復活 】 さんざんバラバラにされてしまい、九分どおり絶望と思っていたが、奇跡が起きるかもしれないと、今朝、姪の「ノイ」に見に行ってもらった。「ノイ」から電話があり、出来上がっているとのこと。それでも、適当におっつけただけではあるまいかと疑心暗鬼ながら、引き取りに行った。 修理やのおっさん、たったこれだけで、150バーツだよと、誇らしげに交換したゴム製のパッキングのようなものを見せてくれた。 特殊な部品のため他界ということもあるのかもしれないが、不具合の原因を調べていて、ここまでたどり着くのに、彼もかなり苦労したようで、原因究明が出来、修理ができたことが、自分でも嬉しかったにちがいない。医者の人命救助と似たところがあって、「修理業」冥利に尽きる瞬間なのだろうと思われた。 修理がうまくいったことを確認させるためか、エンジンをかける。簡単に始動。あれだけ分解してしまったあと、元に戻すのに、ネジの1,2本は忘れていて、そのうち「空中分解」てなことになりはしまいかと心配したが、そんなこともなかった。 このおっさん、結局、昨日の約束(?)にたがわず、修理を完了したことになり、天晴れというほかない。 余談だが、このおやじさんの娘さんは、姪の娘「プッキー」のクラスメイトで、小学校1年生のときからずっと、成績はクラスでトップを維持している。この親にして、この子ありということか。 「プッキー」は、低学年の時には、2番目、3番目ということもあったが、最近では、真ん中よりいくらかいい程度にまで落ちてしまった。 【チャムトーンの井戸換え 】 「発電機」がなおってきたので、猫とニワトリの日常の世話が終わったあと、かみさんとふたりで、井戸換え(井戸そうじ)をした。 超小形の「水中ポンプ(ダイボー)」のため、井戸の底がなかなか見えてこない。汲み出しているそばから、ドンドン湧き出しているので、少しづつしか水位が下がらない。 ZENONの「アキレスと亀のパラドックス」を思い出しながら、本当に底まで汲みだせるのか心配になってしまった。 5、6mの浅井戸で、しかも4ヶ月も降っていないにしては、地下水脈は、まだまだ健在のようだった。昨年の雨期が長引いたことも影響しているかもしれない。地下水脈には、半年近く前の雨水が流れているのだろうか。 1時間近く経過してやっと、掃除できる状態になったが、適当な長さの梯子がなく、速成の「縄ばしご」で井戸に入ることを、年寄りのクセにと禁じられ、井戸の底に下りないまま、釣瓶を使ってかき混ぜるなどして、適当に掃除して終わりにした。 【「本地さん」とは? 】 午後、パヤオの本地さんがお出でになられた。 「ドトール」の焙煎済み「コーヒー豆」、野菜炒めやチャーハンにも使える「中華スープの素」、「佃煮の匠」の東京湾の「あさりの佃煮」、遠州の「芋切干し」など、今回も沢山いただいてしまった。 毎月のことで、感謝のしようもないほど有難いことである。 実は、今までのことをふり返ってみると、これだけでも、「本地さん」という方は、どういう方なのか、「神様」のような方だと思ってしまうほどなのだが、今回は、また特別である。 お会いしてお話をしているときには、気がつかなかったが、お帰りになられてから、この箱に『ヤマ五』の屋号が印刷されているのを見て、もしやしてと思い、インターネットでホームページを見たところ、まちがいなく、この製造元の (有)福田商店 というのは、祖母・「すぎ」の実弟・「福田五作さん」が創業した会社にまちがいないことがわかった。奇遇といえばこれほどの奇遇も滅多にないことである。 遠い遠い昔、小学校入学前後のことだから、もう60年以上昔のことだが、海水浴、草競馬、「サトウキビ」から砂糖を作るため、あるいは、海水から塩を作るためなどで、祖父や父親に、4つちがいの伯父の「エッちゃ」と一緒に連れて行ってもらい、たびたびお世話になったことがあった。その頃のさまざまなことが、今、「走馬灯」のようによみがえってきた。 海水浴で出かけた折、犬に追われて尻を咬まれたこともあった。(それ以来、犬は苦手になった。) 祖母の弟は、「五作さ」、そのご長男(多分、福田商店の先代)は「実(みのる)さ」といって、青年のころは草競馬の名騎手だった。次男は「テツジさ」、三男は「マサジさ」。皆さん、ご健在でおられるのだろうか。 末っ子の長女「クニコ」は、小生より1才年下、男ばかりの中で育ったためか、小生などとてもかなわない「男まさり」だったが、キュートな女の子で、ちょっとばかり「ホ」の字になった記憶がある。当時「クンニー」と呼ばれていたが、小生は、年下であるにもかかわらず、ちょっとばかり敬意を表して「クニちゃ」と呼んでいたように記憶している。 「クニちゃ」は、成人して、小生の妹「トッコ」のつれあい「アキラさん」の兄のところに嫁いだが、10年ほど前に、病に倒れて逝ってしまった。病床で小生に会いたいといっていたそうだし、妹の所から連絡はあったのだが、申し訳なかったが、お葬式にさえ出られなかった。 (注)「・・・さん」というのを、当時の田舎では「・・・さ」というのが普通だった。今でも変わらないかもしれないが。 「マサジさ」には、「めんこ」や「ビーダマ」を沢山もらい、遊び方まで教えてもらった。 さまざまな思い出の多い「ゴサクさん」一家だが、高校へ進学する頃から、なんとなく疎遠になってしまい、その後、祖母も他界したこともあって、長いことご無沙汰している親戚だが、「本地」さんのお蔭で、遠い昔のことを思い出させていただクコとが出来た。まさに「神がかり」とでもいえる「奇跡的」なことであるにちがいない。 「本地」さんという方は、以前にも書いたことがあるが、小生にとっては『神様』であるにちがいないとつくづく思っている。他人様から見れば、そんなオーバーなと思われるかも知れないが、今回のことで、ますますそんな感を強くした。 今回、鹿児島県の「桜島」へ旅行されたお話をされていたが、鹿児島県は、祖父・「孫治」が若い頃、製茶指導などで滞在していた土地で、それもまた、何かの因縁のような気がしてならない。 (有)福田商店の現在の当主は、「五作」さんから3代目だということで、世代は変わってしまったが、メールでだけでも、「ヤマゴ」の人たちに連絡をとってみようと思う。「本地」さん、本当に有り難うございました。
by payarn
| 2009-03-11 19:17
| 日記
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