ホーム・ページ
ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
最新の記事
以前の記事
お気に入りブログ
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
Since May 26 2007 |
2009年 01月 03日
今朝の気温は、16℃。測候所の最低気温、16.2℃。
予報では、確率10%ながら「雨」の可能性アリとのことだったが、今日の日中のチェンライは、もう暑期が始まったのではないかと思われるほど暑かった。カンカン照りの下では、半袖のT-シャツの上に、長袖のポロシャツといった軽装でも、汗ばむほどだった。 夜に入っても、雨の気配は全くない。 【チェンライ・フラワー・フェスティバル】 年末年始の5連休に、どこにも連れて行ってもらえなかったというのでは、いささか可哀想だと思って、「キック」と「プッキー」を連れて、「チェンライ花祭り」に出かけてきた。 このところ毎年この時期に開かれていて、今年で5回目だそうだが、今回がはじめてのことである。 今年は、暮れの27日から明後日5日までのスケジュールで、チェンライ市の西のはずれの「コック川」河畔の会場で開かれていて、遠方からの観光客ばかりか、地元の人たちにとっても格好なレクリエーションの場所のようで、連日大盛況。 会場の脇の駐車場は、十分駐車スペースが確保できないとういうことで、メーファールァン大橋のたもとの船着場から、会場脇まで、川舟がピストン輸送で客を運んでいる。 オープンから、1週間が過ぎて、生花コンクールの生花などすっかり萎れてしまって無残なものもあったが、ランをはじめ、根のある花壇などは、にわか作りとはいえ、なかなかの見ごたえだった。「バンダ」など、一昔前の花とは比較にならない大株が、ところ狭しと無造作に飾られていたが、他人事ながら「まつりのあと」のことが心配になるほどだった。 中には、チューリップや上の写真のように温帯性の花卉なども見られ、ここまで育て上げた園芸家の苦労がしのばれる花も数々あった。 別に、「フラワー・フェスティバル」だからといって、「花より団子」と諺にもあるように、花だけが目的ではないので、ケチをつけることもないのだが、広大な面積の会場の中で、花の展示場所はそう広くはなかった。たった1週間あまりの会期、後のことを考えれば、これでも手に負えないほどの面積なのかもしれない。 この時期に、精一杯稼ごうということかも知れないが、何百軒(少々オーバー?)もの物売りが、縁日のように並んでいて、花をダシにした、一種のバザーなんだなという感じもした。「楽市楽座」というわけでもないのだろうから、稼がないと高い出店料、足が出てしまう。 チェンマイの「ウィンター・フェアー」の会場で、物売りをしている娘たちも、こんな感じで商売しているんだろうなと、夜もろくに眠らないで働いている娘たちのことを思いが行った。 人・人・人。 今日は、昨日までより、少ないらしいが、まっすぐに歩けないほどである。 昨夜、いつものようにご機嫌伺いの電話を入れたかみさんに、今、忙しくて手が離せないの、急ぎの用事ではないのなら、明日にして、などとガラにもない返事をしていたらしい娘たち、今日も同じように忙しければいいのだが・・・。 「花の展示」のほかに、広い会場の一角には、民族博覧会場なような大きな円形のスペースが設定されていて、県内に生活している、各「民族」ごとの家屋が建てられている。 それぞれの民族衣装を身につけた人たちも働いて(?)いて、各民族の生きた「民芸博物館」のようになっている。 「繭」から「糸繰り」をしていたり、民族伝統の食べ物を実演販売していたり。 この会場では、いくつかの新しい発見があった。 昨日のブログに掲載した「餅菓子」は、やはり、「タイ・ルー」のものであることが判明し、昨日のオバサンは、「タイ・ルー」らしいということもわかった。 「餅菓子」の製法も、「粉」からではなく、「もち米」を「荏胡麻」と蒸かして搗いた、本物の「餅」だということもわかった。 ”「カーオ・チー・ガー・タイ・ルー」1枚10バーツ”という手書きの看板が出ていた。(右の写真) 「タイ・ルー(族)のゴマお焼き」とでもいう意味のようである。 「ゴマ」といっても、普通の「胡麻」ではなく「荏胡麻」だが、調べてみたところ、植物学的には、「大葉(青シソ)」の変種なのだそうだ。知らなかった。 チェンライの「エスニック」についてだが、平地のタイ系種族をまとめて「コン・ムアン」というが、これは特定のひとつの民族をさしているわけではない。 この円形会場のメインの場所には、ひときわ立派な「ユアン族」の家が建てられていて、その隣りに「タイ・ルー族」の家が並んでいる。 このふたつが、「コン・ムアン」の主要構成民族らしく、本格的な木造家屋になっていた。 そのほかの民族の家は、竹が主材料で、屋根も、ほとんどが萱葺き屋根だった。 「タイ・ルー」の家の階下には、足ふみ式の「米搗き臼」や民族楽器などが展示されているほか、一部は見学者用の休憩場所兼食事場所になっていたが、ここに、実に珍しいものがおかれていた。 小生だけが、珍しいと思っているだけかもしれないが、タイに来てもうじき四半世紀になるが、はじめて見る「藁細工」である。 かつて日本の田舎で、米の出荷に使われた「米俵」の「さんだわら(俵のふた)」によく似た、稲藁で編んだ「クッション」である。 インディカの藁か、はたまた「ジャバニカ」の藁かは判らないが、とにかく、普通の「タイ米」の稲藁とは違うように見えた。 前々から、稲作文化の国、「タイ」には、「藁細工」が全く見られないのが気になっていながら、「インディカ」の藁は、藁細工にむいていない、したがって、タイには、「わら縄」など「藁細工」はないと、すっかり納得させられていた。 こんな稚拙なものでも、とにかく「藁細工」があったということは、細工できる藁があるわけで、バカな話だが、正直大発見だった。 北タイの民族には、民族間に序列がある。最近になって「タイ・ルー」の血を引いているらしいということを知ったかみさんは、かなり不服のようだが、小生にとっては、「タイ・ルー」が「藁細工」を作る民族だということを知った、これだけのことで、今まで以上に親しみを感じられるようになった。民族の歴史をずーっと昔まで遡ると、「豊葦原瑞穂の国」の末裔(?)と「タイ・ルー」とは、遠い昔に共通の祖先から分かれたものかもしれないと。 「キック」と「プッキー」の物見遊山のお供で、痛い足を引きずりながらの見物だったが、あれこれと楽しむことも出来た。 「ざくろ」、「マッファイ」、「胡椒」の苗木も買って帰った。 無農薬では収穫できそうもないので、「日本イチジク」の苗は買わなかったが、ちょっとばかり心残りではあった。 今回撮影した写真、早い機会に、『フォト・トピックス』で、まとめて公開したいと思う。
by payarn
| 2009-01-03 22:34
| 日記
|
ファン申請 |
||