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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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Since May 26 2007 |
2008年 09月 25日
【「ヌ」の結婚式】 筋向いに住んでいる、従兄弟の「ミット」と「ライ」の一人息子・「ヌ」の結婚式が、花嫁の家であった。 我が家からは、70kmほど離れた、「ドイルアン郡」の軍都近くの「メーリアップ村」。「メチャン方面」からだと、標高差はそれほどはないが、いくつかの山や丘を越して行く、チェンライ県北部にあっては、かなり鄙びた村である。 県都チェンライから、「ウィエン・チャイ」、「ウィエン・チェンルン」を通り、この村の近くで1098号線と交わる1173号線は、最近(?)「チェンライ-チェンコン」間の定期路線バスも通るようになって、今後は開けていくにちがい。 ただ、コック川に近いこのあたりは、歴史を遡ると、メコン川沿いからチェンライに遡る幹線ルートで、一時期チェンライに都をおいた「マンライ侯」の軍もこのあたりを通って行ったにちがいない。 ランナー・タイの曙の時代の、「メコン」と「チェンマイ」をつなぐ幹線のひとつだったにちがいない。 「ウィエン」と名のつく町は、日本風に言えば「宿場町」のような役目をしていたものらしい。 それにしても、山の中、あたりの丘陵地帯のほとんどが、「不在地主」に占有された広大な土地に、「ユーカリ林」、「ヤーン・パラ(パラゴム園)」、柑橘類の「果樹園」など、「プランテーション」のような光景ばかりが目についた。 花婿の通称の「ヌ(นุ)」というのは、「アヌチャー(อนุชา)」の省略形だが、サンスクリット語で「弟」を意味する言葉だそうで、男の子の名前に採用されることが多いらしい。一人っ子なのに、どうしてそういう名前をつけたのかはわからないが、坊さんが縁起を担いでつけた、彼の本名である。 花嫁さんの通称は聞いていないが、そもそもの馴れ初めは、野外教練の合宿なのだそうで、たまたま同じ場所で同じ日に宿営があって、そこで知り合ったのがはじめてだそうである。 ふたりとも17才、花嫁さん、お色直しで、化粧を落とすと、まだあどけなさの残る純真無垢なお嬢さんである。 結婚して、数年もしないうちに、このあどけなさも消えてしまうんだろうと思うと、人生のはかなさを思い知らされるような気がした。 「結婚式」の話題に、縁起でもないことだが、こんなときにでも書いておかないと書くチャンスがないので書いておくが、花嫁さんの家族は、不幸な一家である。 彼女は、姉と二人姉妹だったが、まだ二人が幼い頃に母親を亡くしている。その後、祖母が母親代わりで二人を育てたらしいが、その祖母も先年亡くなり、今日は「写真」で式に参列していた。やがて、父親は再婚し、現在の母親は継母である。 姉妹揃って成績は優秀で、姉は、4年まえにチェンライの短大を卒業し、まともな就職先も見つかって順調な社会生活を始めた。その姉の貯金を元に小さいながらも小奇麗な家を新築したのが現在の家である。 その姉が、今年になって急逝した。交通事故である。 さらに、花嫁さんは、「ヌ」との結婚式を控えた先週の初め、バイクのスリップ事故で、現在は、伝い歩きがやっとの状態である。両肘に残る大きな擦り傷が痛々しい。 それでも、式が予定通り挙げられるだけでもよしとするべきなのかもしれない。今日の「結婚式」を境に、「運」が逆転して、幸せになってほしいものである。 余談だが、花婿の衣装は、結局間に合わなくて、小生が若かりし頃着た背広の上着に、白のワイシャツにネクタイ、ジーンズのズボン以外はすべて小生のお下がりということになってしまった。 ネクタイの締め方がわかるのも、小生以外にはいない。 花婿の両親は経済的には恵まれていて、新しく衣装を調達することもできなかったはずはないのだが、我々夫婦にあやかりたいという意味もあったということを後で耳にして、嬉しいような恥ずかしいような妙な気分にさせられてしまった。 「ヌ」は、小生のスーツを着て式をあげた6人目の男である。離婚の多い社会だが、今のところ、5人のうち、義弟を除いては、離婚していない。当の本人は、前科ものであるが、末永く添い遂げられるような夫婦になってほしいものである。 今回は、「写真屋」にはなるまいと思っていたが、頼まれもしないのに、またやってしまった。編集などはしないで、オリジナルをCDに焼いて渡すだけにしようと思っている。 「心臓」が心配で、「ニトロ」の準備をしていたが、その必要もなく、なんとか乗り切ることが出来た。
by payarn
| 2008-09-25 20:55
| 日記
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