ホーム・ページ
ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
最新の記事
以前の記事
お気に入りブログ
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
Since May 26 2007 |
2008年 03月 13日
1月の 万座温泉・極楽の湯 ( 「 日進館 」 の WEBページから ) 【今日から、「暑期」に入りました!】 今日の我が家の気温は、朝は17℃そこそこと涼しかったのですが、日中は、35℃近くまで上がり、いよいよ本格的な「猛暑」の到来となりました。 これくらいまで気温が上昇すると、エアコンのない生活が、苦痛になる暑さです。 娘の「かき氷」の売れ行きも順調のようです。 そこで、気分だけでも、涼しくなるようにと、冬の最中に見つけた写真を掲載することにしました。プロが撮影したもののようで、気に入っている1枚です。 一時、私ども家族の仕事場だったところです。 上州と信州の国境、志賀高原と背中合わせの山の中に「万座温泉」はあります。 海抜1700mほどのところに位置していることもあり、首都圏に比較的近いこともあって、スキーヤーには、温泉ばかりか、雪質の良さでも有名なところです。 ミルク色をした、万座温泉の泉質の良さも、また全国的に知れわたっていて、厳寒期の一時期を除いて、長期滞在の「湯治客」でも賑わっています。 万座の「日進館」といえば、昔から知られてはいたものの、ほとんど利用されることがなかった秘湯を、先代のオーナーが、”世の中の、病める人々救わんと~”と、病気治療を目的に開いた旅館がはじまりだそうです。 何しろ、雪国の山の中で、当時のご苦労のほどがしのばれます。もちろん、当時は冬場には閉鎖されてはいたようですが。 何しろ、”国を捨て、縄張りを捨て、かわいい子分のてめえたちとも・・・”の「国定忠治」が、上州から落ちのびて来たのも、万座の近くだったそうで、人里を遠く離れた山の「湯治場」だったわけです。 この「日進館」に、我々家族3人は、2年ほどお世話になりました。 チェンライへ越してきたあと、早とちりの感も否めなくて、「年金」など将来の生活設計に不安があり、日本に一時帰省していた折に、長野住まいの旧友、金子さんご夫妻のとりもちで、この温泉ホテルの従業員として働かせてもらいました。もう、15年近く昔のことです。 まだ幼かった娘のケイと、日本語が全く理解できないかみさんを抱えて、ここでの生活は、言葉には表現できないほどラッキーなことでした。 社長の大野さんご夫妻、女将さん、総支配人の市川さんご夫婦や従業員の皆さんにも、親身にお世話していただき、そのご恩は忘れることが出来ません。 夏場は、「湯けむり荘」の湯治客が担当だった、井上さんのおばちゃん、高橋さん、込山さん。管理部の責任者だった小林さん、板長。上げていったらキリがありません。 なかでも、我が家のかみさんが、いくらかでも日本語が理解できるようになったことと、何より日本の家庭料理が作れるようになったのは、ホテルの「賄い料理」のお手伝いをさせていただいたお蔭です。このときお世話になった「渡辺のおばあちゃん」、ご健在だとしても、もうとっくに引退されているに違いありません。皆様、本当に有り難うございました。 右の写真は、『 娘の成長記録 』 にも掲載してありますが、山をおりることがきまってから、ホテルの玄関前で撮影した、お女将さんと娘のケイです。 ここでの、最初の半年ほどは、板場のお手伝い、あとの1年余りは、管理部で、温泉施設の清掃管理などをさせてもらいました。 厳寒期の露天風呂、ホテルの建屋から少し離れたところにある「極楽の湯」の清掃は、正直、楽ではありませんでした。氷点下20度近い吹雪の中を、湯元の確保に出たこともありました。 この「極楽の湯」の写真に接して、離れ離れになっていた、わが息子に出会ったような感慨に浸っております。 今となっては、懐かしい思い出になりましたが、そのほかにも、お忍びでご学友の皆様と湯治にこられたおり、「長寿の湯」のなかで、「秋篠宮様」の「はだか」を拝むことが出来たことは、「冥土のみやげ」になりました。役得とはいえ、当時は、罰が当たって目がつぶれるのではないかと思ったくらいでした。 「万座・日進館」は、昨年、念願かなって新館がオープンし、ホーム・ページも一新されたようです。 「天国」に近い温泉、この春にでも、お出かけになられてはいかがでしょうか。 詳しいことは、こちら の「万座温泉・日進館ホテル」のページをご覧ください。
by payarn
| 2008-03-13 21:56
| 日記
|
ファン申請 |
||