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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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Since May 26 2007 |
2008年 02月 11日
上の写真が、「メプーン寺」の本堂の棟飾り。 この本堂のすぐ隣りに、なぜなのか、あるいは何のためなのかはわからないが、もうひとつの小さな仏殿が建てられていて、その屋根の「棟飾り(チョーファー:ชอฟ้า)」のひとつだけが、まだ取り付けられていない。それが今日の儀式で上げられるわけである。 余談だが、隣り村の通称は「メプーン(แม่เปิน)」であるが、正式名称は「メカム・ソップーン(แม่คำสบเปิน)」村という。 「ソップ(สบ)」というのは、川の合流地点のことで、南西の山間から流れてくる「プーン川」が、西方から流れてくる本流の「カム川」に合流するところという意味である。 川の合流地点を意味するわけで、「~ソップ~」という名前の地名は、よくある地名で、あちこちでお目にかかる。 メプーン村の人口の半数以上が、100年近く昔、ランプーン県・パサーン郡から移住して入植した人たちの子孫である。彼らは、同じ「北タイ語系」のことばではあるが、独特の「ウー・ヨーン(ヨーン語)」を話す民族である。 残りの半分近くは、先住者(?)の「タイ・ルー系」の子孫で、我が家の連中は、父方の祖父が、この「ルー系」の「タイ・ヤイ」らしいのだが、「メプーン村」は、この一族「カムグァン(คำเงิน)姓」の発祥の地でもある。 このあたりの「タイ・ルー系」の人たちも、今では「コン・ムアン(北タイ人)」を自称しているが、厳密に言うと、「タイ・ヤイ」の一系統ということが出来る。 いまでも、わが村や隣り村には、北の国境線を越した向こう側のミャンマー領内に親戚を持つものも多い。 「野次馬根性」は抑えがたく、夕方、5時頃出かけていった。 「高札」によると、今日の17時29分から17時59分までということになっていたが、キックとプッキーを迎えに行った娘の話では、あたりに大勢のお巡りさんが警戒にあたっていたそうで、混雑してもと思い、少し早めに家を出た。 我が家からだと、バイクで5分もかからない。 お寺の前は、すでに1000人以上の村人などが、テントに敷いた茣蓙に正座して、主賓のお越しをお待ちしている。 寺の裏の狭い路地には、王室差し回しの車、警察や軍の車、はたまた、県庁、郡役所、テサバーンの車、病院の車など、バイクを止める場所探しに苦労するほどの車で一杯である。 この写真のように、もうすぐご到着かと思われる状態だったが、待てども待てどもお出でにならない。1時間もすると、歓迎のひとの数も2000人を超すほどに膨れ上がっていた。2000人という数は、メプーン村の人口とほぼ同じで、出席できない村人もいることを考慮すると、近隣の村からやって「野次馬」も多いように思われる。それでも、座っている人の9割以上が、喪服(王姉殿下の服喪中)、白装束、王様カラーの黄色のいずれかの、正装である。普段着の人の多くは、近隣の民家の庭などで、隠れるようにして待機している。 テントのかたわらには、王室からの「手土産」の「綿毛布」が1000枚くらいに、中身は何が入っているのか定かではないが、大男でも抱えられないほど大きな「軍袋」に入ったものが100セットほど、積み上げられている。 テレビでも、このての救援物資などを王族の方々が民衆に施しているシーンを見たことがあるが、その種のものなのだろう。ただ、防寒用の毛布は、残念ながら、やや遅きに失した感無きにしもあらずだが。 お寺の門前には、「軍楽隊」も勢ぞろいして待っているが、予定の時間を大幅に過ぎても、一向にその気配がない。 もう夕食の時間も過ぎていて、家ではみんながイライラしだすころで、王族による「棟飾り上げ儀式」の様子もなんとなく想像できたので、本番前だったが引き上げてきた。 それにしても、王族おひとりが動くと、こんなにいろいろな人が出ばってこないといけないのだと思うと、王族のお出ましは、必要最小限にしてもらわないとかなわないなという感じがした。 【 高橋さん(浦安)来宅 」 東京の郊外、浦安にご自宅のある高橋さんが、来宅された。 これまで、たびたび、このブログにコメントなどちょうだいしている方で、チェンマイに借家されていて「転地療養」のようなことをされているらしい。 「心臓」ということで、日本の寒さはからだに良くないのだそうである。 娘のことや小生のことなど、赤の他人にもかかわらず、いろいろご心配いただいて、アドバイスなどもいただいていたが、想像通りの人のよさそうな同年輩の方だった。 この方も、勇敢な「企業戦士」で、そのために、ご家族やご自分の身体など、犠牲にしてきたものが多かったのでないかと、勝手なことを考えてしまった。我々の世代というのは、十中八九、そういう人ばかりのような気がしている。 高橋さんも、述懐しておられたが、リタイアした後も、じっとしていられない人が実に多いようである。
by payarn
| 2008-02-11 22:25
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