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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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2011年 12月 20日
帰ってこれないかもしれない心配を抱えながら出かけて行きましたが、2泊3日で何とか21日に帰宅できました。まだ、「直腸癌」の細胞検査の結果が出ていないため、予後の検診をかねて来週の月曜日(26日)に出かけなければなりません。
今回は、覚悟をして行ったこともあって19日の入院以来、泣き言などを含めて出来るだけ詳しく残しておこうと思い、ノートに書き込んできました。とりあえず、命拾いをしたこの際、そのすべてをここに残しておくことにしました。 ブログの書き込みのに付けについては、便宜上ということで無視してください。 【入院記(1/2)】 12月19日 17時前、OverBlook(病院)へ到着。 (かみさんの従兄弟の)「ミット」に送ってもらう。 (救急治療室のベッドで)看護婦の問診。下半身だけ入院服に着替え。見習医師のような若い医師が問診の後、ゴム手袋をはめ触診。血がついてきて出血しているのを確認。 看護婦、血圧、体温測定。熱もなく血圧は、140台。(家で計った最後の2回は、180台で、異常に高く、病院行きを決意) 点滴、止血剤注射。心電図のあと、X線室に入り、フィルムを抱かせられて、胸部のレントゲン撮影。 終って、旧館(本館)の5階、3512室に。 長びくことを覚悟していて、『パヤオの歴史』と『ランナー・タイ』、ともにタイ語と『日タイ辞典(冨田)』を持参。 18時半、トイレ、真っ赤な出血、通産で4回目、病院での最初の血便。 それでも、家から3時間ほどが経過していた。 19時 医師の回診。(娘の「ケイ」が肝炎の際、お世話になった医師)日本での内視鏡検査のことを聞いていっただけ。消化器系の専門医(女医)に診察してもらった後、内視鏡やるかどうか決めるをとのこと。 19時半 頼んでおいた夕食が、催促した後、やっと届く。(豚挽き肉入りのタイ風の粥「カオトム・ムー」) 食後、(差し支えないからといわれ、いつものんでいる)降圧剤を服用。高脂血症 の薬は、就眠前でないと効果がないというのでのまず。 20時前 食事後、送ってくれた「ミット」だけ帰ってもらう。 20時過ぎ、トイレ、出血アリ。通算5回目。 20時半、トイレ( 〃 )、6回目。 明日の内視鏡用の下剤を服用。明日の検査終了まで、固形物はいうに及ばず、水も飲めないことになった。 ”「痔」ではなさそうである!!” やな感じ! ポリプの破裂か、それとも「癌」による穿孔か? このころ、娘のケイよりバスの切符が取れないので、明日の朝になると連絡があった。(無理して呼び戻さなくてもいいからとは言っておいたのだが、かみさんひとりでは何かと心細くなったようで娘を頼りにしていたようである。) この期に及んでも、猫たちのことが心配で、かみさんのBEDで子供たちに寝てもらうよう電話したら、すでに義姉がそのつもりになっているとのことだった。 かみさんの話では、プン」は去年までとはちがって、年のせいか、かみさんに寄り添って寝ていたらしく、心配になった。(実は、「プン」の次に高齢で、極端に痩せて元気がなくなってきた「ミム」も心配だったが、帰宅してから、余命幾許もなさそうな気配で、気の毒したと思っている。) 21:15 トイレ、通算7回目。固まりかけた血が混じっている。血が止まり始めているのかもしれない。 かみさんは、貧血状態が進んできて、顔色が黄色くなってきたようだという。いやな感じ。 少し前に「キック」から電話があり、「プッキー」がめそめそ泣いているという。棺桶を用意しなければならないわけではなくので、泣くことはと言っていたようである。 いよいよのときが迫っているを感じての「予兆」でなければいいが。 21:40 トイレ、出血あり。通算8回目。 22:45 (かなり我慢したあと)トイレ、かなり出血。通算9回目。 たしかに、手の爪を見ると、貧血しているのがよくわかる。 23:15 看護婦が来て、明日の手術の承諾書のサインをとりにきた。 明日の内視鏡手術は、9時からとのこと。それまでもてばいいが。 いずれにしても、このまま最後というのではあまりにもみじめ。 ケサリンはじめ、家族にも申し訳ないが、犬・猫、とりわけ猫たちのことが気がかり。 看護婦からは、トイレに行かないで、ベッドの上で、便器でするように言われる。万一、貧血で倒れたときに女手だけでは、手の施しようがなくなると困るからとのこと。 止血だけでも、何とかしてもらえないだろうか。さすがに回数が多いので、1回ごとの出血の量が増えてきたわけではないが、貧血して北のが自覚できる。 頼むよ、血だけは何とか駐めてくださいよ。(23時20分記す) 23:40 看護婦が来て説明。医者に連絡をとったところ、危ないからトイレには行かせるなとのこと。血液検査をして、危ないようなら輸血をはじめるように言われたとのことで採血。 ベッドの両端の柵を上げられてしまった。 23:50 脈拍数:64、真夜中にしては、やや多い。(普通であれば、50台前半のはず) 12月20日 0:05 トイレ(出血アリ)、通算10回目 1:50 トイレ、通算11回目、相変わらず出血あり。 看護婦には内緒でトイレで。 かみさん、点滴台を持ち上げると、(腱鞘炎で)手首が痛いとのこと、申し訳ない。シャワー室兼用になっているトイレには段差があって、バイアフリーではないので、トイレに出入りする都度、点滴台を持ち上げなければならないわけである。 明朝9時まで、あと7時間。 02:05 出きれなかったのか、またトイレへ。通算12回目。下剤を服用したこともあるのかガスも。 不吉!! 宵のうちのことだが、メガネが壊れた。もともと不具合があって、片方のレンズがネジのところから外れて、瞬間接着剤でごまかしていたのだが、ちゃんと張りついていなかったものと思われる。このメガネは、以前、2階のベランダから墜落したときに破れて、縁起が悪いので修理しないでそのままにしていたのだが、レンズ以外はピカピカのままでもったいないと思い、先だってメチャンのロータス内の「トップチャルーン」めがね店で新しくレンズを付け直してもらったものだが、そのときからすでに施工ミスでレンズに小さなひびはいっていた。 もともとゲンの悪いメガネなので、明日、車が戻ってきたら、車の中に置いてある別のメガネと交換しようと思う。 思い起こせば、長野日赤で内視鏡によるポリープの切除手術を受けたとき、切り口からの出血が止まらず、問いr手で血が噴出して、担当医をあわてさせたことがあった。そのときは再手術をして、これでもかというほど沢山のクリップを打ち込んで何とか止血することが出来た。あわや開腹手術かというところだった。 今回の出血量は、そのときよりも多く、しかも長く続いているので、出血している傷口は、そのときの切り傷よりも大きいにちがいなく、開腹される可能性すらあるわけである。 それにしても、まさか、10年以上むかしの古傷が破れたなんてこともないだろうが。今回は、大腸癌の穿孔の可能性もないとはいえない。 今になって、下腹部の違和感は、ポリープ手術したときの違和感のような軽度の鈍痛を感じるようになってきた。(12/20 2時35分記す) かみさんはさすがに疲れた様子で、少し眠らせてもらうから、トイレに行きたくなったら声をかけておこしてくれという。とはいってみたものの、眠れるわけもなく、申し訳ないと思う。 02:40 トイレ、12回目。出血あり。今回は下剤が効いてきたようでかなり便が混じっている。クサイ! これからは、便混じりでクサイのが続きそう。 5時まで(久しぶりに)ぐっすり眠れた。 看護婦が、2リッターほどの下剤(塩?)入りの水を持ってきて、7時半ころまでに飲み干すようにとのこと。 05:30 トイレへ、通算13回目。かみさん起こさず。 相変わらず出血、便も混じる。 水、1/2ほど飲み干す。 06:10 看護婦、水を飲んだか確認に来る。 トイレ、通算14回目。 出血、便混じり。貧血進行。 06:15 水、全部の飲み尽くす。 点滴台だけが道連れの末期の歩行。黄泉への旅は,ひとり旅。 あの世などあるとも思えない。この世に未練、タラタラ。 06:30~40 トイレ、15回目。 飲んだ水が出始めた。 出血、相変わらず。便も。 貧血はさらに進んだようだが、目眩いはしないが、血の気がひいていくような感じがしてきて、脂汗が出てきた。(血液検査の結果、まだ輸血の必要なないということか輸血はされなかった。) 体温:36.2℃、血圧:160.やや高くなってきたが、いつものモーニング・サージにちがいない。 06:50 トイレ、16回目。 相変わらず。 トイレに行ったついでに、口をすすぐ。洗面はしない。 07:50 トイレ、17回目。 相変わらず、出血。 08:00 歯磨き、洗顔 娘から電話があり、すでにチェンライ行きのバスの中とのこと。11時ころにはチェンライ到着予定。 親知らずが生えてきて歯が痛むとのこと。 08:10 下半身、白地の「パカマー」に着替えさせられ、内視鏡検査の準備。予定では9時ということになっている。 (ここからは、手術室から帰ってきてから記帳) 時間通りに、手術室へ向かう。 下半身痲痺(あとでわかったことだが、「脊髄ブロック法」によって、下半身は、完全に痲痺していた)。睡眠薬の注射をされ、手術中は、完全に意識がなかったが、部屋に戻ってからは、普通の状態に戻っていた。 12:20 手術室から戻る。(実際は、もう少し前に部屋には戻っていたのかもしれないが、意識がはっきりしてきて記帳したのがこの時間ということである) 下半身完全にマヒしていて、感覚がまったくなく、上半身だけの人間になってしまったようである。 (この先退院までは、翌日の日記に続く)
by payarn
| 2011-12-20 14:54
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