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2011年 09月 24日
今朝5時45分、我が家の外気温は、24.5℃。 天気、曇り。雲の間から見えた「木星(?)」だけが、やけに明るかった。
農業気象観測所の今朝の最低気温は、24.0℃。昨日の最高気温は、32.4℃。 朝の相対湿度は高かった。農業気象観測所の午前7時の湿度は、なんと97%。冷たい汗がでてくる、気持悪い朝だった。 1週間予報が、今日と明日の2日分だけになってしまった。まさか担当者がサボっているというわけでもあるまいが、残り5日間の分は空白のまま、いかにもタイらしい大らかさである。 朝から、昼前ころまで、なんとなく「雨期」に逆戻りのような空模様で、パラパラ雨やしとしと雨が降ったりやんだりしていた。それでも、北から東似かけて、所々青空も見られた。昼からは、晴れ上がり、冷たい風も吹きはじめ、かみさんに言わせると、「さながら、サム・ルドゥー(3季)」だそうである。日本風に言い直せば、一日のうちに春夏秋冬の四季があるという意味である。 ただ、空の南半分には黒い雲がかかっていて、我が家の上空あたりが、「雨期」と「寒期」の境目になっているようなのが気になる。 【体調】 明け方近く、ずいぶん寝汗をかいたので、久しぶりに起き抜けにシャワーを浴びた。気持はいいが、起き抜けというのは、心臓にはよくなさそうである。 昨夜のことで詳しくは記憶していないが、寝付いてまもなくのころ、「うなされて」目が覚めた。「うなされて」というのは、そんな気がしていたというだけで、当人にはっきりした自覚はない。何か半透明の「くらげ」のようになってしまった自分の身体を見て大声で悲鳴を上げていたようである。一種の「幽体離脱」現象なのかもしれない。寝入りばなで熟睡していたからか、今回はかみさんは起きてこなかった。 あまり愉快な夢ではなかったが、昨日「杉浦直樹」の死や「入川保則」の末期がんの記事を読んだせいかも知れない。 【参考】 今朝インターネット検索をしていて、「入川保則」について、こんな記事 を見つけた。なんとなく身につまされることもあって侘しいなあと思われる話ではある。 この記事、早晩消去されることになるのだろうが、それもよかろうと思い転載しなかった。読売のコラム記事である。 シリーズになっているコラムで、 『末期がんの俳優 入川保則さん「笑ってさよなら」出版』、 『(1)沖縄巡業中、直腸がん見つかる』、 『(2)内気な性格改めようと役者の道へ』、 『(3)妻3人、子ども5人、孫5人』、 『(4)葬式の準備は整えた』 のうちの(3)の記事である。まだ続いていくものと思われる。 今後の記事も含めて記事一覧は、こちら で。 【義父、家出?】 家の庭で飼っているにわとりたちの餌やりは義父の役目だった。このところやりすぎであちこちに食べ残しが残っていて、小言を言われたのが気に入らないと。それが直接の理由で、家出する気になったらしい。他にも、このところ食事について、時間を含めて食べ物の好き嫌いなど注文が多く、渋々ながらも応じていたらしいのだが、それも気に入らないことのひとつだったようである。 このところ、日増しに「老化現象」なのだろうか、健忘症がつのり、さらには切れやすくなってきたようで、家人たちも手を焼いてきた。 以前のように弟の残した家での一人暮らしではなく、義弟の家に同居するのであれば、それもよしということであろう。 ただ、前ほどマメではなくなってきたが、庭の隅の草取りや、掃除などは、他にやる人もなく、荒れ放題になるのではないかと心配にはなる。その分、こちらにお鉢がまわってきそうである。 早朝、衣類をいれたカバンを持ち出してきて、今にも、出て行きそうな構えだったが、思いなおしたのか、カバンは部屋に持ち帰ってしまって、今までと同じことになっているらしい。正気が戻ってきたということなのだろうか、それとも、荷物運びをしてくれるものがいないため我慢することにしたのだろうか。 自業自得みたいなところもあるが、家人たちからは、親あつかいも年寄りあつかいもしてもらえず、気の毒な面もないではない。 【谷の水点検修復】 谷からの取水が止まっていた。見に行くと、づ威厳にほど近い、渠のようなところを山の上に昇って行ったらしいバイクのわだちがあり、バイクに踏まれた部分の継ぎ手が外れていた。未だかつて、そんな泥沼のようなところにバイクで入り込んだ奴はいないが、おそらく、麻薬がらみで警察官に追われて、逃げ込んだにちがいない。このあたり一帯は、かつての「ゴールデントライアングル」さながらの「魔境」のようなものである。逃げ切るためには、常識では考えられないようなことでもするのだろうと思われる。 【買い物】 かみさんの買い物に、お付き合いしてメチャンに行った。 「ハーソク(2.5m)」の四手網を買うためである。 今まで使用していた「シーソク(2.0m)」だと、引き上げるのは軽いが、小魚の量がぜんぜん違うのだそうである。たしかに「2m」ものの面積は、概ね2×2で4㎡、「2.5m」ものだと、2.5×2.5で6.25㎡、5割り増し以上の広さで、大ザッパに言って、広くなった分、捕捉する魚の量が増えるわけである。ただ、引き上げる力も5割ましにはなるのだろうが。 「ハーソク」の四手網は、メチャンの2店では売り切れだったが、最後にあたったメカムの雑貨屋にはあった。1網、140バーツ、水切れのいいナイロン製である。 これで、また明日にでも「出漁」のつもりでいるらしい。数少ない、かみさんの楽しみのひとつ、兎や角は一切言わないことにしている。一日おきに送り迎えをしている「髪結いの亭主」をさせてもらっている。(かみさんの、あとの楽しみといえば、テレビか、きのことり、竹の子とりくらいなものである。) 捕った雑魚は、一部は「雀焼き」にもするのだが、あとはすべて自家製の「パラー」にするために漬け込む。 実は、この雑魚、氷入りの保冷容器にいれて持ち帰ると、メチャンの「ホコ天」で、茶碗一杯20バーツでとぶように売れるのだそうだ。キロ当たりにすると、なんとなんと200バーツ近くになるのだそうで、メチャン付近の「女漁師たち」にとっては、笑いが止まらない副業なのだそうである。一日の稼ぎが、1000バーツにも場合によっては2000バーツにもなるというので、朝3時起きで毎日のように出漁しているらしい。 わが村の前村長も、村内や隣村の「女漁師たち」を送り迎えするので、このところ連日「旅客運送業」。往復運賃がひとり30バーツだそうだが、詰め込めば20人は軽いのだそうだ。 【学校にテレビ・クルー】 メカム学校に、3チャン、5チャン、7チャンのテレビクルーが来て、撮影があるというので、「プッキー」は朝から出かけていった。 わがパヤーン地区からは、「プッキー」と「ベオ」だけなので、授業風景を撮影するということでもなさそうだが。3社が同時というのも、なんだか。 「プッキー」は、タレントにでもなったつもりなのか、朝シャンをしていそいそと出かけていった。午前中だけかと思ったが、昼前には帰ってこなかった。 【猫たち】 「スア」は戻ってきたが、「パンダー」は、また帰ってこなかった。 番小屋の2階で寝起きしている、「ユング」の子猫、今日は、2匹とも姿を現わしたそうだが、すっかり大きくなって、丸々と太っていたらしい。一日も早く人間になれさせなければ、「スア」の二の舞になってしまう。
by payarn
| 2011-09-24 16:42
| 日記
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