ホーム・ページ
ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
最新の記事
以前の記事
お気に入りブログ
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
Since May 26 2007 |
2011年 05月 18日
今朝5時30分、我が家の外気温は、22.1℃。
今朝の天気、晴れ。冷んやりと肌寒い朝。微熱(37.2℃。)のせいか。 農業気象観測所の今朝の最低気温は、22.9℃。昨日の最高気温は、29.9℃。 朝から夕方までは晴れたり曇ったりの天気だったが、夕方、5時過ぎから、1時間ほど本降りの雨になった。 【微熱】 昨夜、夕食後、寒気を感じ、体温を計ってみたら、38.3℃。やはり寒気は、熱のせいだった。 すぐに、かみさんが持ってきた常備薬の「Paracetamol 500mg」を服用。効いて来たような来ないような、1時間後に再度計ったところ、なんと薬の効果もなく、38.5℃に上がっていた。もし「解熱鎮痛剤」を服用していなかったら、39℃を越していたのかもしれないが、久方ぶりの今回の発熱、そんな高熱になりそうな予感はなかったので、じっくり効いてきていたのかもしれない。さらに、2時間後の21時20分には、36.3℃に下がっていた。平熱か、あるいは、いくらか高めか。 「芯熱」というのか、熱(ねつ)っぽいということはあったが、風邪の症状は全くなく、下痢や消化不良の徴しもなかった。原因は、一体なんだろう。 今朝、起きてすぐに計った体温は、37.2℃。まだ、微熱の原因は、解決していない風だった。 チャムトーンから帰りぎわ寒気がして、家に戻って体温を計ると、36.1℃。多分平熱。それでも、寒気はおさまらないので、メカムのクリニックへ。 クリニックで検温してもらったが、身体はほてって熱いが、体温は36℃そこそこ。雨にあたらなかったかとか、水には入らなかったかとか聞かれたが、昨日一昨日あたり、わずかに雨に濡れたとはいえ、それでどうこういうほどではなかったし、一般的な風邪の症状も全くない。まあ念のため、ということで、いつもの風邪の時の「お尻の注射」を打ってもらって、「Proflox 500(Ciprofloxacin 500相当)」をもらって帰ったが、例によって、少なくても副作用など調べるまでは服用しないことにしている。タイにあっては、健康管理は自己責任抜きには考えられない。 注射のせいだろうか、夕方になってキーボードをたたく右手の薬指、小指が痙攣して固まってしまった。この2本の指は、以前、あやまって「鉈(なた)」で、切り落とす寸前の大怪我をし、見かけ上はわからないほどに回復したのだが、その後もシビレはずっと残り、小指の第1関節は曲がらなくなってしまった。悪名高い「メチャン病院」で手術などしてもらわなければよかったと後悔はしたものの、何しろブラブラに垂れ下がった2本の指をつなげてもらえさえ出来ればいいというほど、切羽詰っていたわけで、いたしかたのないことで、直近の「メチャン病院」でも仕方がないと思っていたわけである。 今でもシビレが残るということは、おそらく「神経」や「腱」はまともにはつないではもらえなかったのかもしれない。 そんなことが、今回の「お尻の注射」となんらかの関係があって、「こむらがえり」のような症状がでたのかもしれない。 じっと手を見る。手の皺と見まがうほどの傷跡だが、よく見ると当時の接合部分がわかる。お前たちだけ、先に行ってしまうことがなかっただけでも、良かったね、行くときは、親指、人差し指、中指は言うに及ばず、みんなみんな一緒だよと2本の指に語りかける。 どの指だったかは覚えていないが、われわれノイ日本での結婚式の媒酌人をひきうけてくれた、オヤジの従兄弟の「トシオさん」は、自営の製材業で使用している「帯鋸」で指の先を切断してしまい、指の先がない生活を送ってきた。雨の日には、古傷が疼くといっていた。 また、小生の最初の結婚相手は、ヤクザのアンちゃんと手ヲ切るのを条件に、アンちゃんや後見人の前で小指を第1関節から切断し、年中小指を握り締めるようにして隠していた。切った小指の先は、アルコールづけにしてガラスの小瓶にいれて保管していた。 やはり、お天気の下り坂には、指先が痛くなるといってこぼしていた。 気丈な女性だったが、いざ離婚ということになったときに、泣いて復縁を迫ってきたことがあった。前妻との結婚前で、さらに新たに指を詰めていれば、考えなかったこともなかったが、そんなこともなく復縁することはなかった。 【「体温計」】 記憶がはっきりしないのだが、時々使っているこの「テルモ電子体温計(C202)」、一時帰省中に日本で購入したものにちがいないので、もうそろそろ15年にはなるにちがいない。 今のところ、電池切れということもなくなんとか使えている。この体温計の電池交換は、自分ではできないものらしいのだが、日本で購入したものでも、タイで電池交換してもらえるのだろうか。「ロータス」内の薬局の店頭でも、同じようなタイプの「テルモ」の体温計を見かけたような気がするので、若し可能なら、早めに電池交換してもらおうと思っている。 我が家のあたりでは、アナログの水銀体温計や最近では中国製(?)のデジタル体温計なども出回りはじめているが、使い慣れた「テルモ」だけに、電池切れになったとしても捨てるのはもったいない気がする。 タイ語では、体温計のことを「水銀検温器(เครื่องวัดปรอท)」というらしいが、ふつうは「パロート(ปรอท)」だけですませている。「水銀」といえば、「体温計」や「温度計」のことである。 【「キック」たちの送迎】 体調がよくないので、送って行けるかどうか心配だったが、初日ということもあって、ほかに手段もなく、少々無理をすることに。 家を7時に出て、学校到着7時半前に学校に到着していなければならないのだが、今朝も、「プッキー」、「ベオ」も一緒。 中学生を学校前で降ろすのには、まだ7時前で早すぎて、「キック」を送り届けた後、引き返して学校前で降ろすことにした。 それにしても、これから先も、毎日3人の送り迎えなんて殊にはならないように願いたいものである。 上の写真は、初日登校時、国旗掲揚代の前で撮ったものだが、こころなしか淋しそうに見えた。 かみさんも、同じことを感じたのか、職員室にまで出かけて、よろしくお願いしますと挨拶した後、別れしな廊下通路で「キック」を羽交い絞めにしていた。当世風に言うと「ハグ」していたというのかもしれない。”お前なんか、この恩知らずが、どこへでも好きなところで出て行け”と、鬼の形相で怒鳴りつけていた、あのときのことが嘘のようある。娘の「ケイ」のときでさえ、こんなことはなかった。「キック」から甘えられているという自覚があったからかもしれないが、母親の代わりがいくらかは果たせるかもしれないと思っていたかもしれない。たとえ親子でも、抱き合っている姿を目にすることはなかっただけに、意外だった。 下の写真のように、「孫にも衣装」、「キック」も見た目だけは、高校生らしくなった。中味は、我々が想像している以上に、寂しがりやで甘えん坊のようである。 2時前、「キック」から電話が入り、迎えに。今日は半ドンだったようである。 帰りの車の中でいろいろ話していたが、昨日の今日で「退学」した子供がいたそうで、かみさんもあきれていた。 生徒数は、「キック」が受験した最初の試験のときとくらべると大分増えたようで、1組だけでも、10人以上増えて37人くらいだそうである。3クラス全部だと、100人を越したかもしれないらしい。あの校長先生も嬉しいにちがいない。 それにしても、同級生たち「キック」にさえ軽蔑されるような生徒が多いようなのが問題である。「キック」の性格からすると、今はそんなことをいっていても、「朱に染まれば、赤くなる」のも時間の問題のような気がしないでもないが。 【「メルトダウン」】 といっても、「原発」のことではない。庭の芝の中の「ケオ・モンコン」。1株だけだが、支えている竹の柱が全壊し芝の上にへたり込んでしまい、時節柄、「原発」のことが頭に浮かんできた。結局、福島第1は、1号機ばかりか、2号機、3号機も、「メルトダウン」だったということのようである。 我が家の「メルダウン」は、修復用の竹を切りに義父が、チャムトーンに同道し、材料だけは揃ったので、家中の手があき次第、人力でもちあげて、「放射能漏れ」もなく修復完了ということになりそうである。 【修繕の日】 体調はあまりよくないはずなのだが、今日は修繕仕事をふたつほどこなした。 だが、いずれも満足の行く結果にはならなかった。 部屋の隅に置いてある、「DoItYourself」スタイルの金属性の棚が壊れてしまったので、すべて取り外して針金で修理。大工道具の一部など、金属製の道具類をのせてあって、それだけでもかなりの重量があるのだが、この上に猫たちが乗ったり、さらには、ここを踏み台にして書棚の上に飛び乗るため、細い番線を溶接しただけの書棚は、ひとたまりもなく壊れて閉まった。壊れた部分は、針金で補強をして修理だけは一応目論み通りに完成したのだが、血芥のようにたまっていた、修理したときいつかは使うことがあるかもしれないととっておいた壊れた部品や壊れかかった工具類など、山ほどあって、今すぐに整理しようという気分にもなれず、鉢植え用に買ってあった大タライの中に入れたままになっている。明日にでも、かみさんに手伝ってもらって整理するつもりである。 台所の雨樋は、納屋を平屋に改築したときにとっておいた古い雨樋の廃物利用のため、錆びついてきていて穴があき雨漏りが激しくなってきた。簡単にはなおりそうもないほどの穴だったが、それでもいくらかは改善できるのではないかと思って、これまた当時の廃物を探してきて穴ふさぎをした。 丸樋のひしゃげたのを見つけて、切り開こうとするのだが、きばって厚手のトタン板を使用していたので、肺物に等しいようなトタン切り鋏では容易に切れない。 結局、かみさんや義父に手伝ってもらって、ハンダ付け部分をはがして、やっと発くことができた。それはいいのだが、サイズがあわないことなどあって、うまく行かないかもしれないなとは思ったが、とにかくやっつけておいた。 そのうち、雨樋のテストをするためといっていいほどのグッドタイミングでドシャ降りの雨が降ったのだが、危惧していた通り、修理前よりさらに事態は悪くなっていた。義父にも、前よりひどくなったよと嫌味を言われるほどのできばえだった。そのうち、なんとかしなければならない。 【猫たち】 事件!事件!大事件である。 今朝チャムトーンに餌をやりにいって、遠くの島の端の上に「パンダー」など、親猫たちの姿が見えないので、もしや昨夜の内に抜け出して行ったかもしれないなとイヤな予感がした。 番小屋のほうの猫たちに餌をやった後、上の池の端を渡って、島にはいるころから、子猫の異様な叫び声とも聞こえるような鳴き声が、橋の下の水中から聞こえてきたのだそうである。かみさんは、われも省みず、水の中の鳴き声の聞こえるあたりにザンブと飛び込むと腰近くまである水深。橋のたもとあたりで顔だけ出して、気息奄々の「オン」の子猫の1匹を抱え上げ、救出。すでにびしょ濡れになった身体は冷え切っていて、助かるかどうかもわからないほどだったらしい。オトウサーン、オトウサーンと呼ばれてとんで行った。満水近くまで増水した上の池は、この桟橋付近の水深がもっとも深いということもあって、橋のたもとは、「オーバーハング状態」になっていて、「犬掻き」ならぬ「猫掻き」で泳ぎついても、岸に這い上がることができない。我々が到着するほんの少し前に水中に落ちたにちがいないのだが、もし昨夜のことだったらと思うと、身震いがしてきた。 かみさんが、古シャツできれいに拭いてやったあと、かわるがわるに抱きかかえて温めてやると、そのうち声を出して鳴き始め、ああこれで助かるかもしれない、後は、水を吸い込んでいて「肺炎」にさえならん化ければいいのだが。 「オン」の子猫も、生まれてからもう50日になる。こんな事件でもなければ、小生には名前を覚えてもらえないのだが、やっと、覚えることができた。今回溺れ死にそうになった灰トラが「モン・メム」で、親猫の「オン」と同じような灰トラと白のぶちのほうが「トゥン・タム」だそうである。 橋のたもとの岸辺の草むらからは、「モン・メム」が水に浸かっていた場所は見えないのだが、親猫たちがかわるがわるに「モン・メム」を助け出そうとした形跡が、草むらに見えた。だが、人間だったら、その気になれば、水の田舎に飛び込むことができるのだが、猫は人間に以上に水が苦手で、飛び込んでまで助けることはできないようである。 母親の「オン」は、助け出されたことはわかったようだったが、すでに諦めていたのか、嬉しそうではなく、そ知らぬふりをしていた。こんなとき、猫というのは案外諦めが早いもののようである。それに引き換え、血のつながりなど全くない「ゴンゾウ(避妊オス)」は、”良かった良かった”とでも言わんばかりに「モン・メム」の全身をなめ回し、愛撫していた。やはり「ゴンゾウ」は、ただの猫ではなさそうである。 夕方5時過ぎころから本格的な雨になり、降りだす前に、かみさん、「キック」、「プッキー」、3人で出かけて行ったが、雨宿りしながら、「モン・メム」の様子を見たりしているにちがいない、6時過ぎたのにまだ戻ってこない。 あわや2日続けて、猫の死に目にあうことになりそうだったが、将来(さき)の長い仔猫の法は助かったようでほっとした。 家の三毛の1匹「ウェン」が発情し、ワーオ、ワーオと煩くて熟睡できない。昨夜、避妊薬の注射をしたらしいが、この人間様用の「ホルモン剤」、効きがよくないこともあるようである。今日も夕方になってもワーオワーオがおさまらなかった。 それにしても、人間用に開発されたこの「避妊薬」が、猫でも使えるなんて、面白いといえば面白いものである。ペット・クリニックで、注射してもらうと、まちがいなく50バーツ以上とられるが、メカムの人間様用のクリニックで、この薬は、1瓶、2匹分、10バーツ程度で手に入るものらしい。
by payarn
| 2011-05-18 21:48
| 日記
|
ファン申請 |
||