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2011年 04月 18日
今朝5時40分、我が家の外気温は、20.6℃。
今朝の天気、晴。 農業気象観測所の今朝の最低気温は、20.8℃。昨日の最高気温は、35.6℃。 【「靖国神社」】 「靖国神社」の桜ももう「葉桜」の季節になったものと思う。陸軍の施設としてつくられたのだそうだが、「九段会館」は、今回の「震災」で、ロビーの天井が崩落し、死者まで出したそうである。 自分は、「右翼」だとは思ってはいないが、「軍歌」が好きで、このパソコンの中にも100曲近い「軍歌」を保存している。 外地で生まれて敗戦まで外地で暮し、「空襲」とか「疎開」などとは、まったく無縁に育ったこともあるのかもしれない。3才ころのことらしいが、志願して兵隊になり、当時、ちょっとした位にあった叔母のつれあいに連れらえて、当時「徐州」にあった母の弟の部隊を慰問に訪れたことがあった。かすかだが、楽しかった思い出が残っている。まだ、日本軍が落ち目になっていない頃のことである。 「戦争」の恐さを間接的にしか経験していないものにとっては、「反戦」の動機なんて、所詮観念的なものである。だから、「軍歌」の「カラ元気」が好きなのだろうと思う。 「軍歌」の威勢のよさは、実は上辺だけのことが多く、「軍歌」の歌詞の中には、「涙」を誘うものも多い。涙もろいというか「泣き虫」を自認する身、そんな「軍歌」を聞きながら、目頭が熱くなることもしばしばである。 「大震災」の被害者にとっては、「軍歌」どころではないのだろうが、今現在「原発」と戦っている「兵士」たちの心情を思いやるのに、「軍歌」が相応しいような気がして、あれこれ見境なく、ボリュームをあげて聞いてみた。 「あゝ紅の血は燃ゆる」、「愛国行進曲」、「暁に祈る」、「出征兵士を送る歌」、「若鷲の歌」、「加藤隼戦闘隊」、「空の神兵」、「嗚呼神風特別攻撃隊」、「敵は幾万」、「昭和維新の歌」・・・ この時期、放射能に晒されながら、日本のため、いや世界の人類のために、わが身を省みず身を挺して戦っている「兵士」たちのことを思うと、頭の下がる思いがする。たとえ、「福島原発」が欠陥設備だったとしても、彼らには責任はないのである。本ものの「戦争」と同じで、上官が戦死するなどということは先ず考えられないが、下っ端の「兵士」たちの中から、新たな犠牲者もでるにちがいない。勇敢な「兵士」ほど、犠牲になることが大いにちがいない。 「企業戦士」としての義務を果たしているだけなのかもしれないが、そんな「兵士」たちを合祀する「靖国」を作ってやる義務が、命永らえたものたちにはあるのではないだろうかと思ったりしている。 最悪の場合、「チェルノブイリ」以上に悲惨な事態に陥る可能性すらあるのだそうである。 【「ティラピア」の刺身】 半年ぶりくらいだろうか、そろそろ活きのいい「ティラピア」の刺身が食べたいなと思っていたのだが、催促したわけでもないのに、夕食にほとんど活き作りに近い刺身が出てきた。 有り難いことだが、実際に味わってみると、暑期に入ってしまった今では、どうやら時期外れ。やや形が小さかったこともあるが、わさびに負けてしまいそうな淡白な味だった。おまけに、日本米を切らしていることもあって、タイ米の混合飯しではいまいちパッとしなかった。 【『対話 - 私はもう中国を語らない』】 『対話 - 私はもう中国を語らない(武田泰淳 堀田善衛 朝日新聞社 1973刊)』。暑さしのぎの読書。 タイトルの”私はもう中国を語らない”は、巻末に記された、日中国交回復後の中国についての堀田善衛の結論。 このふたり、戦中からの親しい間柄で、文革後などの中国についての忌憚のない意見表明がされていて、なかなか読み応えのある対話である。 日本との生活習慣などのちがいなどにもふれているが、現在のタイ人の生活態度などにも通じるものがあって興味深く読めた。 この本の中に、「栞」代わりに、「CONTROL DATA」社の伝言用のメモ用紙を半分に折ったものが挟まれていた。1973年当時、「CDC JAPAN」在籍中に購入した書籍であることは間違いなさそうである。多分、広島支店勤務前後のことだろうと思われる。前妻とは、この会社で知り合い、いわゆる「社内結婚」で、前妻は結婚後退職し、新婚所帯は広島市内のアパートだった。その後4年ほど広島生活を送り、会社がなくなることになったのを機会に、希望退職に応じて首都圏に戻った。車の免許証を取得し、車を買ったのも広島勤務時代のことだった。はじめて買った車が「プアマンズ・クーペ」と言われていた「ワーゲン」の「カブトムシ」。空色の車だった。後に「ニッサン」の車に買い換えるときに手放したのだが、愛着があって、何時までもクヨクヨしていたことが忍ばれる。 懐かしい思い出が多く、思い出すと胸が一杯になる。もう40年近く昔のことである。
by payarn
| 2011-04-18 20:57
| 日記
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