ホーム・ページ
ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
最新の記事
以前の記事
お気に入りブログ
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
Since May 26 2007 |
2011年 03月 23日
今朝6時00分の我が家の外気温は、18.6℃。 今朝の天気、快晴。
農業気象観測所の今朝の最低気温は、16.7℃。昨日の最高気温は、35.1℃。 今日も一日快晴。「葬式日和り」だった。 【「福島第1原発」】 亡くなられた方、行方のわからない方、身元が判明しない方、合わせると2万人をはるかこえるらしい。 さらに追い討ちをかけるように「福島第1原発」。大勢の人たちの懸命な努力にもかかわらず、はかばかしい効果が上がっている風ではなく、心配である。 元の勤務者から、「欠陥工事」、「人災」の指摘もあるようだし、日本政府は「真実」を隠しているらしいという情報も流れている。 昔々のことだが、コンピュータ解析を応用した新設計で造船された大形の「鉱石運搬船」が、「鹿島灘」はるか東沖などで沈没したことがあった。後になって、設計の不備や溶接工事の不備などが指摘されたが、当事者のまわりにいた小生の同年輩の技術者から、当然予測できた事故だったという内輪話を聞いたことがあった。”長さ1mの船を、クッキング・ホイルで作るのだと思えば、想像できるでしょう”というのが、彼の話だった。 このときにも、真実は長い間隠されたままだったように記憶している。 社会的な影響が大きいことを惧れて、隠蔽しているとしたら、被害者は救われない。 社会的なことが無視できないのはわからないわけではないが、小出しに避難区域を広げるのではなく、この際、避難勧告区域を一気に100km圏内くらいまで広げて、その対策を急ぐ必要があるのではないだろうか。場合によっては、100kmでも狭すぎるのかもしれないが。 【CRTモニター】 今朝も順調に立ち上がった。 【風邪ひき】 昨日、夕食後、鼻水が滴れて息苦しくなり、寒む気もしてきたので、メカムのクリニックへ。自分で運転して行けないこともなかったが、月の出前の夜道なので危ないからと、かみさんに止められ、「アイ・タン」に送ってもらった。「クヮン」を連れた「ノイ」も同行した。 血圧やや高いが、150弱、熱なし、ノドも腫れていない。風邪のとき、いつも打ってもらう、よく効くお尻の注射をしてもらう。 鼻水止め(NASIFED)、解熱鎮痛剤(パラセタモン)、抗生剤を処方してもらう。体調と相談しながら服用するので、何が何でもつかうものでもなさそうである。 「NASIFED」というのは、Triprolldine HCL 2.5mg、Pseudoephedrin HCL 60mg。タイの「BURAPHA製薬」の genuine(コピー) のようである。鼻水止めや咳止めなど、この手の薬は副作用が多いので要注意。よほどのことがない限り、服用しないことにしている。「モー・ダー」からも車運転の予定があるときには、朝は服用しないようにと注意された。 昨夜のんだ薬のせいか、心臓の拍動が多い、今朝からずっと100以上である。血圧は、いつもの置きぬけより低いくらいで145。 「鼻水止め(NASIFED)」は今朝を最後にするつもり。 【住職の葬儀】 昨日、22日から前住職「トゥ・ヤート」の葬儀が始まった。昨日は、寺での儀式だけで、「柩」の移動はされなかった。いわば、「お通夜」の儀式だったのかもしれない。今日午後に、小学校のグランドにこしらえられている「火葬台・ハッサディーリン鳥」に移動される。 「ハッサディーリン鳥(นกหัสดีลิงค์)」、なんか難しい、外来語の名前のようであるが、「ハッサディー(หัสดี)」とは、「パーリ語」で「象」という意味なのだそうである。また「リン」とは、「リンガ」のことで、この場合は、「男性」とか「女性」とかいう場合の「性」にあたり、日本語にはなじまないが「象性」という意味なのだそうである。 この鳥の由来などについてはともかく、名前だけは、外来語であるということを除けば、難しいものではなく、「象の頭をした鳥」といっているに過ぎないわけだが、「固有名詞」だから、タイ語にしてしまうと、有難味が薄れるということなのかもしれない。 上の写真は、準備完了した昨日の午後撮ったもの。この目や首、長い鼻も動かすことができる「カラクリ」の「ハリボテ」だそうである。「葬儀」でも「位の高い僧侶」や「やんごとなきお方」の葬儀には、「遊び」というものがあるもののようである。もっとも、亡くなったのは、もう1年以上前のことなので、厳粛な儀式であるとともに、「お祭り」でもあるのかも知れないのだが。 今日の「お棺」の引越しなど、さしたる重要な儀式ではないだろうと、出かけて行かないつもりだったのだが、出棺前の儀式は、我々庶民が言うところの「密葬」で、村内の信者はみんな参列するものだと聞かされて、「白装束」に着替えて、半ば渋々出かけて行った。 ホンダのチャリーに乗って、まだ時間が早そうだからと、先ず小学校へ行ったが、「ハッサディー・リン鳥」の微調整をしている葬儀屋くらいしかいなかった。 何枚か写真を撮ったあと、10時少し過ぎたころお寺に向うと、お寺の門に近づいたところで、「バンスクン(袈裟献上)」の儀式で小生の名前が呼ばれているのが聞こえてきて狼狽ててしまった。大急ぎで、境内の片隅にバイクを止めて、「菩薩堂」の階段を駆け上がって、タッチの差で間に合った。 今日の儀式は、主席の僧侶はメカム寺の「クルーバー・アーチャーン」、そのほかに郡内の高僧など20名あまりがきていたが、お役人など外部からの賓客を招いての「本葬」ではなく、「密葬」のようなものだったため、村内の連中が順繰りに「バンスクン」をするというこよのようだった。まさかお鉢がまわってくるとは、予想もしてなく、本当に間一髪だった。 下の写真は、午前中に、「菩薩堂」内の棺の前であった儀式。 高座の右端の僧侶が、主席僧侶をつとめたメカム寺の住職・クルーバー・アーチャーン、そのほかにも、同じクルーバーの称号を持っている僧侶は何人かはいたらしいが、どこのお寺からきたのかなど詳しいことは一切不明。かつてお目にかかった記憶もない。 午前中の「出棺前」の儀式は、11時前にすべて終り、僧侶や参列者に供食した後、午後0時半から、「出棺」が始まるとのことだった。 昼食に提供される食事のメニューは、「ナムプリック・オーン」だということをあらかじめ聞いていたので、いったん家に戻って、「お茶漬け」でも食べて出かけることにして戻ってきた。 午後からの「儀式」、一般の村民の葬式の「野辺送り」に相当するもののようだった。 午後1時前ころから、棺が「菩薩堂から運び出され、葬送行進は「本堂」のまわりを3周した後、お寺の門を出て、小学校の校庭の葬儀場へ。300mほどの道のりだが、行進の先頭が、校門にはいっても、棺はまだお寺の中だった。 すぐ下の写真は、「お棺」が3周した「本堂(ウィハーン)」。 小学校の校庭へついたあと、「火葬台」のまわりを3周したあと、「ハッサディー・リン鳥」の背中の「お棺」の安置場所に無事収められた。 なにぶん高所なので、クレーン車の出動かと聞いていたのだが、結局大勢で人力であげてしまった。 これで、「お棺移動の儀式」は、すべて終了。 夜、ライトアップされた「ハッサディー・リン鳥」の前のテントで、「お通夜」のお経があり、そのあと、花火で今日の予定はすべて終了。裏方さんたちは、深夜過ぎまでの作業が続くようだが。 明日もでかけなければならないのかどうかは不明である。 【白装束】 寺に出かける前に、下着まですべて着替えた、生まれてはじめての「白装束」。 記念のために、写真を撮ってもらった。 「バラモン神主」にでもなったような気分だった。 今日から、ブログのプロファイルの写真も、白装束で撮った写真に変えることにした。あんまり気に入っているわけでもないが、この写真、今年のVISA更新に使おうと思っている。 【今日の仔猫たち】 今日も食欲旺盛。 ほぐした焼き魚のあと、今日はじめて牛乳。 一般に、猫には普通の牛乳はよくないらしいのだが、常温保存が可能なロングライフ・ミルクなので脂肪分は少ないだろうから、下痢はしないと思われるのだが。
by payarn
| 2011-03-23 20:56
| 日記
|
ファン申請 |
||