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2010年 11月 16日
今朝5時00分、我が家の外気温は、18.7℃。
今朝の天気、曇。 日が昇るにつれて快晴になったが、今朝の雲は、雨雲だった。 かみさん曰く、”空が降りたがっている”。近いうちに、ひと雨あるかもしれない。 農業気象観測所の今朝の最低気温は、18.2℃。 昨日の最高気温は、30.2℃。 今日も暑かったが、午後からは、「雪雲」のような雲の塊が、ゆっくりと流れていた。 【「北小路」が死んだ】 「死んだ子の年を数えて」もせんかたのないことで、くどくどとは書かないが、60年安保の全学連リーダー「北小路敏」が、去る13日に「敗血症」で亡くなったという報道がされていた。享年74才だそうだ。 自分自身は、安保の翌年の入学で、彼ら「安保経験者」の華々しい活躍(?)は直には知らないのだが、安保後には、「ブント(共産主義者同盟)」を抜け出して、「シミタケ(清水丈夫)」らとともに結成したライバル・セクト「革共同(革命的共産主義者同盟)」の最高幹部として名が知られていた。 内ゲバ闘争の嚆矢ともいえる両国公会堂での「全学連大会」が懐かしい。そのころは、まだ両国界隈には都電が走っていて、まだ暗いうちに、集結場所の飯田橋から、一番電車で、はせ参じた記憶がある。 今の今迄知らなかったのだが、「キタコウジ」は、「シミタケ」とともに、現役の「過激派・中核派黒幕」として、公安警察にマークされていたのだそうだ。 「カナ漢変換」で、「chuukakuha」と入力しても「中核は」としか変換されない時代になっているにもっかかわらずである。思い出としてふり返るには、生々しすぎるような気がしないでもない。 余談だが、ライバル・セクト「革共同・中核派」の学内の活動家に、「小野田」、「木之下」、「木村」などという人たちがいた。もうひとり、「ゲンコツ」の強い、鉄製の下駄をはいて登校してくる男がいたが、名は思い出せない。 「小野田」は、3兄弟そろって学生運動の活動家だったそうだが、わが前妻のJは、世代はずっと後の世代だが、「小田実」たちがやっていた「ベ平連」を通じて「小野田」の兄貴と知己だったことを知り、いやなめぐり合わせだなと思ったことがあった。 余談のついでに、我々の結婚は、学生運動などとはまったく関係のない、「日本CDC」という外資系のコンピュータ会社での社内結婚だった。 【「鶏小屋」】 屋根のトタン葺きが終わり、骨組みは終った。あとは、竹と遮光ネットを使って、外壁や止まり木、巣棚をこしらえれば完成。 ここまで出来上がったところでみると、なんと、5×8で40㎡もあることがわかった。面積だけからすると、昔住んでいた「行徳マンション」並みの広さである。 廃材も利用しているものの、新規の建設費用(?)は、3万円を肥えそうである。坪単価にすると、2500円超ということになる。それでも、日本の住宅の100分の1以下? 【「イナズマチョウ」】 寒期に入ってから、チャムトーンの養魚池まわりで、しばしば、上の写真のような「イナズマチョウ」を目にする。 この写真の個体は、メスだそうだが、うしろ羽根がライトブルーのオスは、メスにくらべて目だたないからか、メスに出遇うことの方が多いようである。 「アラムシャ」 さんによると、正確な和名は「サトオオイナズマチョウ」というらしい。 学名は、Lexias pardalis dirteana Archduke インターネットで検索していて知ったのだが、このチョウの幼虫は、当地では「メンボン・コテップ」といって、たいへん嫌がられている毛虫らしい。薄いブルーがかった緑色の長い毛モクジャラな毛虫で、一本一本の毛先きが、二又にも三又にもわかれているようで、この毛虫にやられたらひとたまりもないと思われる毒々しい姿をしている、成長したチョウとは似ても似つかない毛虫である。 このあたりでは、「イモムシ、ケムシ」のたぐいを「メンボン(แมงโบ้ง)」と呼んでいる。
by payarn
| 2010-11-16 19:35
| 日記
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