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2010年 09月 01日
今朝5時45分、我が家の外気温は、24.0℃。
今朝の天気、本曇り。雨になるかも。 農業気象観測所の今朝の最低気温は、24.0℃。 昨日の最高気温は、31.7℃。 8時近くまで、小雨が降ったり止んだりしていたが、その後はすっかり上がり、夕方までは快晴の天気が続いた。 炎天下を避けて、日蔭に入ると、わずかながらも秋を感じさせる風もあって、それほど過ごしにくいということもなかった。今日からは、もう、9月である。 【「二百十日」】 今日は、日本では「防災の日」ということで、全国各地で防災訓練が催されたようである。 「ウィキペディア」などで、「関東大震災」のことなど、調べてみた。 1923年というから、今から、87年前の9月1日に、京浜地方を中心に未曾有の大被害をもたらした「関東大地震」が発生。昼食時間帯だったことと、たまたま能登半島付近に中心のあった台風による強風の影響もあって、都内を中心に広い範囲で火災が発生し、10万人以上の死者、行方不明者が出たのだそうだ。 若かりしころ、一時、浅草に住んでいたことがあったが、浅草一帯や、隅田川を渡った向島界隈などには、「震災」から40年ほどが経過しているにもかかわらず、あちこちに、大被害を想像できるような光景を目にできた。 もっとも、この一帯は、「震災」の20年あまりあとに、「連合軍の空爆」によって、再度、焼け野原になっているのだが。 故郷の静岡県では、毎年この日に、「東海沖地震」を想定して、「防災訓練」が行われている。歴史上、繰り返し起きている大地震、予測はされてはいないとはいうものの、単純に「備えあれば憂いなし」と安心しているわけにもいかないのだろうが、「備える」にこしたことはない。 歴史上、北タイにも大地震に被災した記録は残っているのだが、チェンライの我が家、「備え十分」と自慢できるわけではない。 【竹の移植など】 先だって下草刈りなどしてもらったチャムトーンの山よりの竹薮に、竹を定植した。 今回も、「アイ・マン」と「ブン」にお世話になった。 午前中に、竹の移植は終ってしまったので、午後からは、チャムトーンの門脇きにあった以前から邪魔に思っていた、「やし科」のトゲのある大木(?)を切り倒してもらった。本来、「ナタデココ」のような実がなるはずだったが、雌雄異株なのか、それとも、土地が気に入らないのか、10年近くになるのに未だに一度も花が咲いたことがなかった。大きなヤツデのような葉の葉柄には、「鮫の歯」を髣髴とさせるようなトゲが生えていて、厄介そのものだった。そのうち切ってもらおうと思っていたが、かみさんも同じことを考えていたのか、今日「アイ・マン」たちに伐採を依頼したらしい。 同じく、門の脇にある2本のチークの大木、この数年、枝おろしをしてないため、あたりをおおい隠すほどに枝葉が茂ってしまったので、ついでに枝おろしをしてもらった。 見上げると青空が良く見えるようになり、明るくなって様変わりしてしまったせいか、小鳥たちが意見を感じてピーピー鳴いていた。近くに巣があったのかもしれない。 【ニッサン・サービス工場】 サニーの故障で、ニッサンの代理店でなければ修理できないといわれていた故障など、つもりつもった故障や整備をしてもらうために、チェンライのサービス工場へ出かけていった。 ところが、なんとなくへんだった。受け付用の玄関前の駐車スペースに車を止めても、誰も応対に出てこない。ガラス張りの事務所の中も人影がまばらである。仕方がないので、大きなガラス戸を開けて、事務所の中に入って行くと、渋々たった一人だけいた女性事務員が応対してくれたが、イヤイヤながらというのが顔に出ていて、何かブツブツ行っていたが理解できなかった。そのうち、これまた、たった一人の御用承り係の男性が、応対してくれた。これまた、イヤイヤなのが顔に出ている。 そうはいっても、ニッサンの工場でなければ修理できないといわれた不具合もあることだし、わざわざ、来たわけで、あれこれ修理・整備してもらいたい不具合個所などを申し立てた。相手はイヤイヤなわけで、普通なら専用の用紙にメモしながら要件を聞いてくるはずなのに、手ぶらで、しかも小生のいうことなど上の空のようすだった。 ひと通り、小生の言い分を聞き流したあと、小生の車を、今、預かったとしても、修理依頼の車がたくさんあって、いつになったら、手をつけられるかわからないとのたまわった。挙句の果て、来週の月曜日にでも、出直してこいだと。 8年前に、現在のサニーを手に入れてから、しばしば、このサービスステーションは利用してきた。そのうち、修理費は高くて、しかもスグに対応してもらえなどということもあって、町中の修理工場で修理や整備を頼んで済ましてもらうことが多くなった。それにしても、当時は、受付には数人の女性事務員がひかえていたし、修理承り係の男性も、専用のカウンター内に2、3人はいた。それが今は、どうしたわけか、事務所内は閑古鳥である。ニッサンの直営ではないにしても「ゴーン」さんの経営方針がこんな田舎にまで影響しているのだろうか。 チェンライもすっかり車社会になり、整備工場に持ち込まれる車の数も、当時と比べて、数倍にふえたはずだし、このところ、ニッサンの新型ピックアップの売れ行きも好調でニッサンの車も、随分増えたはずである。それと、反比例するかのように。サービスステーションの体制が貧弱になったということは、一体何を意味するのだろうか。たしか、このショールームを兼ねたサービスステーションのオーナーは、バンコク住まいのお医者さんだったはずだが、オーナーに何か異変でもあったのだろうか。 チェンライ・ニッサンといえば、ここしかないわけで、ちょっとばかり心配になってきた。 単純に整備士不足というだけであればいいのだが。 【サニー整備など】 この調子だと、来週月曜に、「ニッサン」に出かけて行ったとしても、1週間くらい預けっぱなしになる可能性もあるし、応対が横柄な事務員の顔を見るのもいやで、取敢えず町中の整備工場で、何とかならないかと、帰りがけに、メチャンの「ウー・サナン」に寄ってみた。 オートマ用のギア・オイル交換と点火プラグの交換を頼む。ともに純正ではないが、問題なし。さらに、ダメもとで、ワイパー・ブレイドがキーキー音をたてるのを修理できないかと訊ねたところ、少々時間はかかるが問題ないということで、これも依頼する。 午後4時ころとりに来るからといって一時帰宅。 炎天下、「ワット・カサー」前のソンテオの通り道まで、1km近く歩いたが、「異邦人(カミユ)」の世界である。クラクラと目眩いがして、足がもつれてきた。肩掛けの頭陀袋にはいっている、かみさんが持たしてくれた「おにぎり」と水がやけに重い。ソンテオに乗り、メカムからは、バイク・タクシーに乗って昼過ぎに家にたどりつき、なんということはない、自宅の食卓に坐ってひとり淋しく「おにぎり」を食べた。着替えたあと、チャムトーンへようすを見に。 3時過ぎ、再び、外出着に着替えたあと、車をとりに。 結果、ワイパーは、モーター部分(?)の部品を交換しなければなおらないということで、部品代の前金をおいて注文してきた。部品が手にはいり次第、連絡が来ることになっているが、概算だが、この部品、2000バーツ近くするものらしい。ワイパーがキーキー音を立てるのを修理するためだけに、そんなに金かけるの?といわれてしまった。たしかに、そうかもしれないが、こればかりは、日本人の性分だから仕方のないことだと、自らに言い聞かせた。 ギアー・オイル交換とプラグ交換の効果は目に見えて、パワーアップし快適に走ってくれる。燃費の向上もあるだろうから、整備費の1500฿ は、高くはなさそうである。 【「イム」、また家出】 8月16日、4ヶ月ぶりほどで戻ってきた、「イム」が、また、昨日からいなくなった。ちょうど2週間いたことに。長い間家を空けていても、帰ってきて早々に甘えていた。2、3日は、「イム」と声をかけても、なんとなくぎこちなかった返事も、じきに昔に戻り、名前を呼んだときの反応は、ほかのどの猫よりも敏感だった。 また、ながのお暇かもしれないと思うと、切なくなる。昨日も、今日も、恥をしのんで、大声で名を呼んだが、帰っては来なかった。「黄泉の国」に行ったのではないのだろうから、よしとするしかないか。 * * * * * * * * * * *
by payarn
| 2010-09-01 20:39
| 日記
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