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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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2010年 04月 19日
今朝5時55分、我が家の外気温は、20.3℃。
今朝の天気、曇、暗い朝。 農業気象観測所の今朝の最低気温は、20.6℃。昨日の最高気温は、36.6℃。 昨夜の雷雨は、一時、雹(ひょう)まじりのザーザー降りになり、総雨量では20mm近くになったかもしれない。 山沿いのメカム川の上流での雨量は、ずっと多かったようで、メカム川は赤く濁っていた。 先般、1m近くかさ上げ工事が完了したばかりの用水ダムを、さながら「白糸の滝」のようになって、濁流が乗り越え、朝日に輝いていた。上流の雨量は、50mm近かったのかもしれない。 ともかくこれで、2、3日は、水遣りの手間が省ける。 【「ペプシ」、ついに!】 昨日は、少し早めの5時すぎに引きとりに行った。 かみさんが、クリニックの入り口の外にいる「ペプシ」を目ざとく見つけた。もしかすると、食べられるようになったのではないかとかすかな期待。 女先生、助手と一緒に「ペプシ」に付き添って「点滴」をしている最中だった。2本目の点滴液だそうだが、黄色だった。残りは、もうわずかだったが、我々が引きとりに行ったため、終わりにした。 話を聞いて見ると、「ペプシ」は、やはり今日も、嫌がって途中で、チューブをはずしたそうだ。力が強くて手に負えないと、明日は、もうゴメンだといわれた。本当のところは、点滴でいくらか元気が出てきたにもかかわらず、食べられるようにならないということで、「肝臓」、「腎臓」あるいは、「消化器系」、更には、軽い咳もとまらず、「呼吸器系」までも、異常がみられるようで、回復の見込みはほとんどないとの判断でギブアップしたようである。これで「ペプシ」の運命は決まった。何種類かの薬を処方されたが、エネルギー源は、また、「グルコース」に頼るしかなく、短期的な延命にはいくらかは効果があるにしても、もう、あと、せいぜい1週間か10日の命ということになってしまった。哀れ!「ペプシ」。 昨日帰宅後しばらくして、何も食べていないにもかかわらず、大量に吐いた。静脈から消化管に逆流(?)したのだろうか。クリニックでも吐いたらしいが、柔らかいゼリー状の嘔吐、こんなことは、「ペプシ」に限らずはじめての経験である。 今日になっても、数回吐いたが、昨日の「点滴液」そのままの黄色で、しかもゼリー状だった。無理やり飲ませた錠剤も、ほとんどそのまま出てきた。今日のところは、かろうじて、庭先のリンチーの木の下まで自力で往復して、トイレを済ませたようだが、もう体力も限界に近そうで、見てはいられない。 ついて行けるわけでもないし、ましてや引き止めることなど出来るはずはないのに、どうしてこんなに苦しいのだろうか。再び出遇うことなど、永遠にない別れが待っているからだろうか。 「骨肉種(?)」で、徐々に徐々に去って行った「ウイ・ティップ」の遺された家族は、こんな苦悩を、何ヶ月も味わわされてきたのだろうが、耐えてきた彼らを見ていると、遺された人たちというのは、みんな強健なんだと感心させられる。 「真綿で、じわじわと首を絞められる」のは、本当にかなわない。意気地無し! 【昨夜、雷雨、停電】 夕方から、時たまパラパラ降り出していたが、7時すぎに停電。これから水浴びをして、葬儀に出かけるというときで、9時前まで停電が続き、結局葬儀にも参列しなかった。 夕方からのパソコンの作業もできなかったため、昨日書きかけてあったブログは、今朝アップした。 葬式用に我が家の発電機を貸すことになったのだが、始動用の紐が出っ放しになって戻らず、結局使用できなかった。 今日、メカムのいつもお世話になっている修理店にもって行ったが、一家でダンなの田舎(中部タイ)に帰省中らしく、シャッターがしまったままだった。 何もかも、うまく行かない。 【「ウイ・ティップ」の係累 】 いつのころからか、小生、地元の人たちとのお付き合いは、必要最小限になってしまっていた。「ウイ・ティップ」とその家族くらいのことはおおむね知っているつもりだったが、「ウイ・ティップ」とその兄弟や「ウイ・ティップ」の奥さんの係累などについては、思いは及ばなかった。今回、確かめてわかったことなど書き留めておくことにした。 向かいのかみさん「トーン」の父親、すでにとうの昔に亡くなっているのだが、は、「ウイ・ティップ」の兄に当たるのだそうだ。 また、義姉のつれあい「クイ・タム」の父親(故人)も、「ウイ・ティプ」の兄なのだそうである。 また、姪「ノイ」のつれあい、「アイ・タン」たちの母親は、「ウイ・ティップ」の奥さんの姉妹なのだそうだ。「アイ・タン」と「ノイ」とは、血のつながりはないとはいえ「従兄弟同士」のようなものである。 たった、これだけでも、我が家と、「ウイ・ティップ」家族とは、二重にも三重にも姻戚関係だということがわかった。 車社会、情報化社会で、遠方の見ず知らずの人と知り合うチャンスもある現代社会とちがって、2~30年前までのこのあたりでは、村落内や近隣の村落に伴侶を見つけて結婚するのが普通で、血のつながりのある従兄弟関係、あるいはそれよりも近親者との結婚は忌避されたとはいえ、極端なことをいえば、村中挙げて「親戚」のようなものだったわけである。 「ウイ・ティップ」には、7人の子があったが、そのうち2人は、まだ子どものうちに亡くなり、「アイ・マン」のおくさんはじめ4人は、村内または近隣で伴侶を見つけ、末っ子の女の子だけが、「韓国人」と結婚して、南部に居住している。 「アイ・マン」には、すでに、1才になる孫がいるのだが、享年70才そこそこの、「ウイ・ティップ」にとっては、「ひ孫」に当たるわけである。 【VISA延長書類 】 じっとしていると、憂うつになって仕方がないので、大分早手回しにはなるのだが、来月6日に入管にもって行く書類の準備をした。 すんなり準備ができたとはいえ、なにしろ、当地での「生殺与奪」は、ひとえに、タイの「入国管理局」にゆだねられているわけで、毎年のことながら、OKが出るまでは、ドキドキである。
by payarn
| 2010-04-19 17:35
| 日記
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