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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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2010年 04月 13日
今朝6時05分、我が家の外気温は、20.1℃。
今朝の天気、靄。 農業気象観測所の今朝の最低気温は、20.2℃。昨日の最高気温は、38.6℃。 今朝も、短パン、Tシャツの薄着で庭に出ると、身が引きしまる程度には、涼しい朝。 日中は、靄のため柔らかい日差しだったが、蒸す暑い一日だった。 【年越しの宴】 昨日は、「大晦日」ということだろうか、夕方近くから、あちこちから散発的に、「爆竹(?)」の音が聞こえてきて、今朝方まで、鳴り止まなかった。 西暦の年の瀬の「カウント・ダウン」の習慣が、タイの新年にも影響してきたのだろうが、北タイの新年行事には、「カウント・ダウン」のような習慣は、もともとなく、あえて年越しというのであれば、13日の今日が、「ワン・シン・ピーガオ(旧年の最終日)」である。もっとも、中部タイなどでは、今日は、「ワン・マハ・ソンクラーン(大ソンクラーン日)」ということで、今日が、「新年入り」ということのようである。 ちなみに、北タイでは、明日は「ワン・ナウ(家籠りの日)」で、日本の元日の言い伝えと同じように、余計なことはしないで、じっと家にこもっていなければいけない日ということになっている。 昨日は、我が家も、「年越しのご馳走」のつもりだったようで、娘のリクエストにより、「パ・チュム鍋」ということになった。土鍋を使った、肉類の全く入らない、魚と魚のつみれなどを主体にした「水炊き風・シャブシャブ料理」だった。 お好みのタレでたべるのだが、「ポン酢」で食べると、日本料理といってもいい、さっぱり味のなかなかいけるものである。あがやでは、このときのためにということでもないのだろうが、「春菊」が作ってある。 たくさん作ったので、あまり物みたいなことになったのだが、ご近所さんにも声をかけたところ、大勢が押しかけてきて、そのころからは、アルコールも入って、夜の10時近くまで賑やかにやっていた。 我が家の「年越しの宴」である。 【時の流れ】 「タイ新年」に入ると、時間の流れが急に緩やかになるのは、日本の「三が日」のようなものだからかもしれない。 四半世紀昔の、このあたりでは、1年365日、こんな感じで、ゆっくりゆっくりと時間が経過していた記憶がある。 もうあの時代には、戻ることはできないのだろうが、「新年」を迎えるたびに、昔のことが忍ばれる。当時、我が家を訪ねてくれた友人が、そのうち北タイの田舎も変るよと言っていたことを懐かしく思い出している。 【正月のしたく】 明日は時間がとれそうもないということで、明後日寺参りにもって行く「菓子作り」、いわゆる「ホー・カノム(菓子包み)」のためにバナナの葉を準備。 「大仏日」の前日の作業と同じものである。「カノム・チョク」という、ココナッツを餡にしたもち米の粉で作った粽風の菓子である。「スナック菓子」がお気に入りの現代っ子たちには、見向きもされなくなってしまった伝統の菓子である。 午後からは、来客用のビールや清涼飲料水を仕入れにロータスへ。 今日も「ワカシ」が出ていたので、2尾買ってきた。このところ刺身といえば、こればかりである。 そのほかの買い物は、代わり映えしないものばかりだったが、ロータス、正月にあたっての生鮮食品などの、売れ筋の予測が外れたのか、ハム・ソーセージなど、売り切れが目立った。この店には、まともな需要予測などできる従業員はいないのかもしれない。 我が家も家計にゆとりのあったころは、子牛の1頭くらい、買ったものだが、最近は、お大尽ぶるほどのゆとりもなくなって、世間並みの新年ということが多くなった。 【学校パーパー】 例年、この時期、都会からの帰省客を当てにした小学校の寄進行事「パーパー」がおこなわれるのだが、今年も今日「学校パーパー」が開催され、若者たちを中心にして、夕方近くには、ドンちゃん騒ぎの行列がくりだして行った。 いまでも、国家から支出される予算だけでは、学校の管理運営が賄えない状況は変ってはいない。 児童たち一人一人には、「15年間教育費無償政策」というのが実施されているのだが、なんとなくおかしいような気がしないでもない。
by payarn
| 2010-04-13 21:26
| 日記
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