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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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2010年 02月 13日
今朝6時30分、我が家の外気温は、14.8℃。
今朝の天気、晴。東の空半分ほどに、ひょう紋のまだら雲、淡い茜色の朝焼け。 農業気象観測所の今朝の最低気温は、13.0℃。 昨日の最高気温は、32.0℃。 今朝の我が家の気温、犬用のたき火の影響が歴然としている。測候所の最低気温は、12.5℃で、昨日並みだった。我が家のあたりとて、まだ、暖かくなってきたわけではない。 【回線障害】 昨日の午後あたりから、また、TT&T、何かやらかしているらしく、繋がらないことが頻繁。呼び出し音のあと、ノーレスで、そのうちビジー・シグナルのツーッ、ツーッ。夜になって、使えるようにはなったが、今朝は、「ID and/or パスワードのエラー」で接続できない。 このところ調子がいい状態が続いていたので、そろそろかなと案じていたのだが、やっぱりやってくれたようである。今朝もまた、トラぶっている。 7時すぎには、なんとかつながったが、極端にレスポンスが悪い。困ったものである。 【手帳日記、公開】 1994年、日本へ舞い戻った翌年の「手帳型日記」の入力を完了した。 日々、2、3行程度のわずかな記述しかない『 PIA DIARY 94 』で、しかも3月中旬頃までの記述しかない日誌だが、3才すぎたばかりの娘のケイを始めて日本へ連れて行き、浦安のアパート生活から、万座温泉で住み込みで働くことになる直前までの日記で、小生にとっては、忘れられない時期の思い出が詰まっている日記である。 幼ななじみの友人が、県知事に初当選した1993年の夏に、日本に戻ったのだが、時は「バブル崩壊後」の不景気の真っ只中、職探しには随分苦労した。何もこの不景気の最中に戻ってこなくてもと、諭されたが、先々の経済的事情から、働かなければならない状況にせまられていたわけである。そんなことで、多くの知人友人には、大変な迷惑をかけることになてしまった。彼らが骨折ってくれたおかげで、何とか職は得たものの、臨時雇いのような形で、ミャンマーへの工場進出をするためのプランニング段階の仕事だった。それも、結局は、ミャンマーの為替事情などが理由で頓挫してしまい、翌年(1994年)はじめには、失職し路頭に迷う羽目に。そんな折、旧友の金子さんの計らいで、万座を紹介されたわけである。以後、10年近くに渡って、万座そして長野でお世話になることになった前夜の日記である。 2年ほどの万座生活のあとも、様々な理由から、長続きできず両三度に渡って職場を転々とした。 それらのすべてが、人生このかた未経験な分野ばかりで、毎日毎日、刺激的な生活を送ってきた。その間、二度の交通事故、事故の後遺症からの頭蓋骨穿手術など、病院生活もたびたびで、安心安泰の日々など遠いかなたのことだった。 そんな難儀な生活を送っていたにもかかわらず、この間の大半は、いわゆる「単身赴任生活」を余儀なくさせられ、家族と一緒に生活できるのは、すでに就学期に達していた娘の学年末休暇中くらいのものになってしまい、家族とのスキンシップが、遠くかすんで行くような気がして、随分心細い思いをしたものである。 今思い起こしても、よくこの時期を乗り切ってきたものだと、我ながら感心してしまう。ひとえに、金子さんはじめ、我々家族を、蔭に日向に援助してくださった皆様方のお力によるものと感謝しないではいられない。 喧嘩別れのようになってしまった勤め先もあるが、経営者や先輩、後輩にも助けられたことは、忘れてはいない。ふり返って見れば、恵まれていた半生だったのだろうと思う。 この日記の先頭は、こちら にあります。 【越和宏】 冬のオリンピック、バンクーバー大会が今日から始まる。開会式前に、すでにスキージャンプの予選が行われたそうである。 2、3日まえから、スノーボードの第一人者、国母(こくぼ)選手の服装のことが、喧しく問題になっているようで、彼は、開会式参列を自粛することになったそうである。 その彼と、同じ名前の旧知の友人・越和宏さんも、今回も、何回目かのオリンピック出場を果たした。昭和39年12月の天皇誕生日生まれで、うちのかみさんと同い生まれの45才。今回もまた、選手団中の最年長。一流のスポーツ選手としては、とっくに引退の年令だが、現在も尚、国内では先頭を行くトップ・アスリートで、参加しないわけにもいかないらしい。 越和宏さんとは、長野時代、仕事仲間を通して知り合い、忘年会や新年会のたびにご一緒させてもらい、小生の「送別パーティー」にも、参加していただいた。そのときには、2002年ソルトレークシティー大会参加記念のサイン入りの額(下写真)を餞別に頂戴した。 すでに世界を舞台にしては、一桁の順位は難しくなってきたが、何とか頑張って、最後のひと花(?)を咲かせてもらいたい。 今回のコースは、大会前の公式練習中にグルジアのリュージュの選手が、コースアウトして事故死したくらいで、かなり危険なコースらしいが、あんまり冒険しなくてもいいから、そこそこにがんばってください。 越さんやスケルトン競技については、こちら などの『ウィキペディア(Wikipedia)』に詳しいが、オフィシャル・ページは、こちら 。 ちなみに、蛇足とは思いますが、「スケルトン」はじめ、ボブスレー、リュージュなどの「そり競技」の発祥は、すべて北欧のようですが、スケルトンは、腹ばいになって頭の方から滑って行くのに対して、リュージュは、仰向けになって足のほうを前に滑っていくようです。 「スケルトン競技」の「ソリ」は、競技の名の通り、「月型」の骨組みだけのもっとも簡素な道具立てだが、それだけに、ほんのわずかなテクニックの差が、100分の1秒、あるいは、1000分の1秒のタイム差につながるような微妙なものらしい。 記録は「ソリ・メーカー」の技術にも大きく左右されるもののようで、越さんはじめ、ソリ更新国の日本選手たちは苦戦を強いられているようである。「弘法、筆を選ばず」というわけには行かないようである。 なにしろ、日本には公式コースとしては、長野オリンピックの競技場になった「長野スパイラル」しかないらしい。競技人口が少ないということもあるが、、競技の場がないわけで、「イタチゴッコ」のようなものである。 【「マン」の100日忌】 従兄弟の「マン」が亡くなったのは、去年の10月27日の早暁のことなので、100日は、とっくに過ぎた。 理由があってのことだろうが、今日、100日供養が、前妻・スクの家で行われた。 「マン」が亡くなったときの内縁の妻は、長女・トイと同い年の18才。滞りなく葬儀が終った後、わずかばかりの「手切れ金」を手にして、ミャンマーへ帰って行った。もっとも、いまでは、また不法入国して、「マン」と知り合った頃と同じように、メサイあたりの食堂ででも働いているにちがいないのだが・・・。 両親もすでにこの世にはなく、父親と同居していた、すぐ下の妹・ピンカムも、あの世の人になってしまっていて、身寄りといえば、「スク」との間に出来た2人の娘だけで、結局、前妻の「スク」が、「100日供養」の施主をつとめることになったわけである。 葬儀ほど盛大な仏事ではないとは言うものの、近隣の親戚などには声をかけないわけに行かず、それなりに物入りなことではあるわけだ。 庭には、ふた張りの天幕席を作り、表の通りには、徐行を促す交通看板も出している。 日本では、年忌儀式というのは、49日からはじまって、1回忌、3回忌、果ては、33回忌などというものがあるが、タイでは、名僧ややんごとなきお方はともかくとして、我々凡人は、基本的には、100日供養でオシマイである。あとは、年々新年行事の中で、遺族だけが、お寺でする「施餓鬼供養」だけということになる。それが、淋しいことかどうかは、考え方次第で、故人の思い出を表ざたにはしないで、個人個人の胸の奥にしまっておくのも、悪くはないように思う。所詮は、「一期一会」のことで、こだわり続けるのは、残された人たちにとって、幸せなことだとは思われない。 4,5軒先の「スク」の家から、結婚式でもあるかのような大音響の明るい調子の音楽が聞こえてくる。まさか、ディスコ・ダンサーなど呼んでいるわけでもあるまいが、100日忌といっても、この付近の仏事は、そんなもののようである。それはそれでというか、その方がいいにちがいない。「タンブン・ロイワン」というくらいで、大勢接待して喜んでもらえれば、それにこしたことはないわけである。お酒の席である。 我が家から、朝からつめ掛けているのは、義父と姪夫婦だけで、我々夫婦は出席するつもりはない。義姉は、一昨日の田植えの続きで、昨日準備の手伝いはしたようだったが、今日は、欠礼ということになりそうである。 【買い物】 鶏用の砕け米ほか、久しぶりの「ロータス」。 砕け米は、いつものメチャン市場の米やで購入したのだが、いつもの格安品は在庫なし。この米やの日本米の砕け米、ひょっとすると、富士ファームから仕入れているのかもしれない。袋が、富士ファームで使っているものと同じである。格安品から順に在庫がなくなっていくと考えれば納得できる。もしかすると、2割ほど割高な格上の今日買えた砕け米も、次回あたりには、在庫が切れてしまうのかもしれない。 【中国正月】 明日から「中国正月(ตรุษจีน)」である。中国人は「春節」というらしいが、このあたりでは「トゥット・チーン」とナマって呼ぶ。 言ってみれば、華人たちにとって今日は、「大晦日」である。 華人系の商店は、中国正月になると、店を閉めるところが大半である。タイ人の店のように、正月でも休まない中途半端な店は少ない。「大晦日」の今日からシャッターを下ろしている店が多い。 毎年のことではあるが、中国正月が近づいてきたら、できる限り買い物はひかえるのが賢明である。日本の盆暮れと同じように、町中の商店では、この時期、品物の価格はいっせいに値上がりするのが普通である。雨の少ない乾期ということもかさなっているのだが、野菜価格が高騰していて、義弟など、仲買商人たちはウハウハのようである。 実は、この中国正月、平地の華人ばかりか、山岳民族には、正月を中国正月でする民族もいるようで、ロータスやメチャン市場は、普段の倍以上の買い物客、それも殆んど山岳民族で賑わっていた。 「ムスー」が多いように見受けられたが、それにしても、「ムスー」も豊かになったものだと感心させられた。孫にも衣装、若い娘さんたちの中には、言われて見なければわからないほどの色白の美形もちらほら。 新車のベンツの大形バン、Sprinterで買い物に来ているらしい「ムスー」に出遇った。日本円にすれば、1000万円以上するのではないかと思われる。 こんな車で、山の上のくねくね道を上って行き、茅葺きの自宅の前に横付けするアンバランスがなんともいえない。 右の写真は、Benz Sprinter(WIKIからの無断借用)
by payarn
| 2010-02-13 17:03
| 日記
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