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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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Since May 26 2007 |
2009年 08月 24日
蚊の襲来と、豪雨で目が覚めた。どこから闖入してきたのか、しつこい蚊にはかなり喰われた。蚊取りラケットでも捕捉出来ないということはどういうことか。
処暑(昨日)が過ぎたこの時期、天気が悪いと、6時前はかなり暗く、寒暖計を確認するのも、ひと苦労である。 夜来の雨は、明け方近くになって、時にドシャブリになり、滝のように雨樋を伝って流れていた。6時まわった今も、小降りにはなったというもの、降り続いている。夜半からの雨量は、100mm前後には達している。外に放置してあるアルミの犬の食器は、雨水が満杯、睡蓮池も、あふれている。 今朝5時55分の外気温は、22.4℃。 気象観測所の今朝の最低気温は、23.0℃。 昨日の最高気温は、28.5℃。(今朝7時までの)24時間雨量は、81.1mm。 【今朝の朝食】 朝食は、いつもパソコンの前でとる。7時前ころには運ばれてきて、学校に通う子供たちと、ほぼ同じ時間帯で、7時半過ぎに始まる家族のほかのメンバーとくらべると、30分以上早い朝食である。 自家製か地元産のコーヒーが必ずつく。健康のためで、薄めのアメリカン・スタイルで、砂糖やミルクの類は一切入れない。まあまあということもあるが、素人の焙煎で、しかも適当なドリップのせいか、余り美味しくはない。 自家焙煎、手挽き、ペーパー・ドリップ、かなり贅沢なことではあるが、コーヒーに凝っているわけではない。 コーヒーのほかは、最近は、「サラパオ(おやき風)」、「カップ・ラーメン(ニッシン)」、「サンドイッチ」、「ハンバーグ」、「ホット・ドッグ」などの軽食である。 今朝は、珍しく、「夕べの続き」の「おでん」だったが、夕食が「カレー・ライス」のときなどにも、「続き」ということがある。 今回の「おでん」は、上出来だった。薄味に作った「おでん」だが、味もよくしみて、汁は澄んでいる。煮立ててはダメだぞという言いつけを守ってくれたようである。 毎回、「おでん」の汁つくりは、小生の出番で、「料理酒」、「味りん」、「醤油」、「塩」、それに「昆布」、「いりこ」さらに「本だし」などで作るが、微妙な味は、なれた舌で味を確認しながらでないと美味しくは出来ない。特別、味にうるさいわけでもないが、大量に作るわけで、できる限り美味しく作りたいし、この日本の味を舌で覚えて、いつの日にかは、小生のサポートなしでも作ってもらえるようにという願うばかりである。 我が家の「おでん」は、季節に関係なく、美味しそうな「こんにゃく」が手に入ったときに、「おでん」になることが多い。 今回の具は、「こんにゃく」のほかに、裏の土手で取れた「ノー・ワーン(灰汁のない竹の子)」、「ジャガイモ」、「大根」、「つみれ」、「揚げかま」、「揚げ豆腐かまぼこ(?)」、「ゆで卵」、「いか(保存用に加工したもの)」、「昆布(出し兼用)」。 このあたりで売られている「タイヤイ(シャン族)」が作る「板こんにゃく」は、「唐辛子入り」だが、今回のものには、ほんのわずかしか「唐辛子」は入っていなくて、ほとんど気にならないほどで「おでん」むきである。 我が家では「板こんにゃく」ばかりか、「肉じゃが」や「すき焼き」に使う「糸こんにゃく」も大好評で、年間にはかなりの消費量である。味がよくしみて美味しいということもあるが、「ダイエット食品」であることにもよるかもしれない。 ちなみに、「こんにゃく(芋)」のことを、タイ語では、「フア・ブク」という。 「おでん」には、「油揚げ」や「ごぼう巻き」が欲しいところだが、チェンライまで出かけなければ手の入らない代物である。チェンライのスーパー「トップス」には、割高ではあるが、紀文ブランドの「練りもの」が各種売られているし、たしか「油揚げ」も手に入るようである。 【中京大中京が優勝】 中部地方同士の決戦になった今年の甲子園(第91回大会)の決勝戦は、連戦の疲れもあってか、両チーム投手ヨレヨレの試合になってしまったが、中京高校(愛知)が、10x-9 で、かろうじて逃げ切り優勝した。中京商業以来、43年ぶり7度目の優勝だそうで、広商(広島)を抜いて、単独最多優勝校になったそうである。 日本文理(新潟)は、惜しくも新潟勢として初の全国制覇はならなかったが、下馬評にもあがらなかった学校が、全員野球でよくも決勝まで進んだものである。 ところで、中京大中京は前身の中京商業のころから、スポーツ界では有名校だったが、わが父親の従兄弟、「俊ちゃ」の出身校である。 「俊ちゃ」は、祖父の妹の長男である。年上でもあることだし、すでに80才に手が届く老人になっていて、「俊ちゃ」でもないとは思うが、小生の小学生時代、彼は中京商業の「体操部」に所属し、たしか全国大会にも出場した体操の選手だった。なんという技かは知らないが、床運動のひとつ、床の上すれすれに開脚した両足を、扇風機のように回転させる技を、畳の上で披露してくれたことがあった。これを真似して、自分でもやってみた記憶がある。体操の「床競技」のなかの連続技のひとつではあるが、この技は、オリンピック選手の演技のなかで、現在でも見ることができる。この技だけであれば、特別難しいということはないのだが、後に社員旅行の宴会の演技で披露したらり、友達の前でやって見せたりして得意になっていたことがあった。「俊ちゃ」のことが「誇り」だったからこそ出来たことかもしれない。 そのころのことだが、ある夏休みに、「俊ちゃ」の家、今では名古屋のベッドタウンになってしまった「高蔵寺」の家に、叔父の「悦っちゃ」とふたりで遊びに旅行したことがあった。 「俊ちゃ」の家から、ダラダラと坂道を1km近く下って行ったところに、水のきれいな庄内川(?)が流れていて、同じくらいの年頃の子供たちが、楽しそうに橋のたもとの岩場から深みにダイビングするなどして水遊びをしていた。帰宅してから、碧く澄み切った水の流れがきれいで、川へ水遊びに行きたいといったところ、このあたりの川の水はとても冷たく、しかも水中で渦を巻いている深場があちこちにあり、毎年のように子供が溺れ死んでいる危険な所が多く、絶対行ってはならんと咎められたことを、いまでも鮮明に覚えている。海に近いわが故郷あたりの川には見られない、川岸の小豆色をした大岩が、目に焼きついて残像のように残っている。 「俊ちゃ」は兄弟姉妹6人の中の唯ひとりの男だった。妹の中に小生の1級下の「早苗」という名の女の子がいて、後に、確か名古屋市内の「菊里高校」を卒業しているが、今頃どうしているか、懐かしい。一度だけ、何かの折りに、「菊里」のセーラー服姿にお目にかかったような記憶があるが、幻影だったかのかどうか。 もう、みんなみんな60年も昔のことである。 祖父の兄弟姉妹は10人以上いて、従兄弟連中が、毎年のように持ち回りであつまって「いとこ会」をひらいていた。東は神奈川県、西は高蔵寺まで、1件の家からひとりは出席するのがならわしだった。 祖父の妹のひとりに、戦前家族でペルーに移民し、その後メキシコに移住した人もいて、はるばるメキシコから従兄弟たちがやってくると、臨時に「いとこ会」をひらいてみんなで集まったこともあった。 祖父の兄弟姉妹も、すでに全員が、黄泉の人となってしまい、いまは昔のことになってしまったが、あのころは我が家の親戚づきあいも賑やかだった。 故郷に残ってがんばってくれている弟が、かろうじて親戚づきあいを続けてくれているが、縁が薄くなってしまったのは、しかたのないことなのかもしれない。 【娘たち】 昨日、メサイ・ロータスの日曜市に店出し出来なかったのは、どうやら嫌がらせらしいということがわかった。 「キューパオ」、「パ・サーン」と「ロータス駐車場」の3ヶ所を取り仕切っている胴元(?)が、同じ男で、最近、娘たちは、「ロータス」以外は浮気して、「メーファールアン大学」に出かけているため、場所を都合してもらえなかったらしい。 「今日は、「チェンセン街道」沿いの「タレ・サープ・チェンセン(チェンセン湖)」への入り口に近い「ホエ・ナム・ハーク」の月曜市、初めてのところである。 昨夜の大雨で、ぬかるんでいるところらしく、定期市が中止になるのではないかと心配していたが、出かけて行った。 いつもなら、月曜、火曜は連休にしてもいいところなのだが、解凍してしまった「ムール貝」など、使い物にならなくなってしまうため、あちこち問い合わせてやっと見つけた場所である。少々無理しても、仕掛かりの素材を出来るだけ処分したいということのようである。
by payarn
| 2009-08-24 19:56
| 日記
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