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ランナー・タイこんなところに住んでます どこ、どんなとこ? わたしの家族 我が家のカレンダー 【 最近の追加・更新 】 写真集 『 ブナの森 』 (7/19) 検索
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Since May 26 2007 |
2009年 01月 20日
今朝の気温、12.7℃。測候所の最低気温は、12.0℃。
「WUNDER」の予報によると、土曜日の夜、”雨アリ”ということになっているが、さて? 【「オーン」が帰ってきた!】 行方不明の子猫のうち、「オーン」が、3日ぶりに戻って来た。 かみさんの願いがかなったのか、今朝、チャムトーンに行くと、「アイ」、「イム」と一緒に、以前のように我々の到着を出迎えてくれた。 「オーン」の姿を見つけたときの、かみさんの喜びようは、言葉では表現できないほどだった。とはいえ、もう一匹が帰ってこなかったため、半分だけの嬉しさだったかもしれない。 生後、まだ、6~7ヶ月で、自活する才覚などあろうはずもなく、随分腹を減らしていたようで、日ごろあまり喜んで食べない「焼き魚の粥」をガツガツと食べた。 おそらく、連れて行かれてすぐに逃げ出し、今朝になってやっと我が家にたどり着いたのではないかと思われる。 【自画自賛】 1月のチェンライ、日本の真夏並みに強い陽射しである。 下の写真は、午前11時過ぎ、家の裏手に回って、暖炉の煙突のレンガ模様に見ほれて撮った写真である。 P・モンドリアン、前世紀に「新構造主義」を提唱して多くの抽象絵画を残したキュビズムの巨匠の一連の作品、「コンポジション」を想い起こさせるレンガ模様である。 この暖炉、設計から現場監督まで、素人ながらに苦労して作ったもので、特別の愛着を感じている。 「ピサの斜塔」にならないようにするのはもちろん、地盤が砂地なため、「不等沈下」して家屋本体と「喧嘩」しないように気を使って組み上げていった。「レンガ職人」の「サック」も、こんなもの作るのははじめての経験で、素人の小生の言うがままだった。基礎工事からだと、半月近くかかってやっと「煙出し」まで完成した。 それでも、その後、煙突部分と屋根瓦の間に隙間が出来て、雨漏りの補修をすることになった。 素材のレンガは、当時はチェンライでも、チェンマイでも手に入らなかった「耐火煉瓦」で、わざわざバンコクまで出かけて10トン車で運ばせたものである。今にして当時のことをふり返ると、随分無駄なことをしたものだと、反省しないでもない。 この暖炉、現在では、紙屑などを燃やす「焼却炉」の役目しか果たしてはいない。 そんな「暖炉」だが、さすがに固焼きの耐火煉瓦、未だに当時の色合いのままである。 さまざまな色のものがあって、ながめていてもあきが来ない。手作りのよさであろう。 【「野沢菜」漬け】 「野沢菜」というのは、最近のDNA鑑定などから判ったことらしいが、欧州系の「蕪(かぶ)」の一種らしいが、そもそも冷涼な気候の土地に向いている野菜のはずである。それが、熱帯・亜熱帯の当地で栽培できるというのは不思議なような気がしないでもない。 (【参考】 ウィキペディア 「野沢菜」) そんな「野沢菜」が、乾燥野菜(フリーズ・ドライ)の工場の委託栽培で、この村でも作られていたことがあった。最近は、見かけなくなってしまったが、今でも県内(?)で、 2~300ライの栽培面積があるのだそうだ。 長野では、すでに冬のはじめ頃に収穫が終わってしまっているようだが、熱帯のチェンライでは、今が収穫のシーズンのようである。 その「野沢菜」を、工場に出入りしている次姉のつれあいがもらってきて、早速、日本の「野沢菜漬け」流につけることになった。 5キロほどしかないため、本漬けするほどの量はないが、1週間後、浅漬けの「野沢菜漬け」が漬け上がるのが待ち遠しい。 チェンライ産の「野沢菜」、完成品の「漬物」になって日本に向けて輸出されるらしいのだが、日本向けということで、肥料や農薬などには随分気を使っているとのことだった。 日本のスーパーの棚に、「原産国タイ」と表示された「野沢菜漬け」があったら、「チェンライ産」と思っても間違いないかもしれない。 【「リンチー」の蕾】 我が家の庭、マンゴーの花は盛りを過ぎた。そろそろ「リンチー」の花どきである。 今年は、我が家の「リンチー」、何年ぶりかで期待できそうである。 うるさく言って、軽い剪定しかさせなかったこともよかったかもしれないが、昨秋のからの気候は「リンチー」好みだったのかもしれない。 庭の3本の老木、すべてに下の写真のような蕾の房(チョウ)が、木全体を覆い尽くしているように見える。 あとは、花が実になる3月頃、旋風の被害を受けないことを願うだけである。 我が家の「リンチー」は、5月初旬から中旬ごろが旬である。 【「クイ・タム」】 縫合した指の内出血が止まらないため、再度切開する必要があるということで、今日の退院はなくなった。 一発で決められないところなど、さすがにタイの田舎のお医者さん。 昔々、プログラム開発で、大きなものに取り組んだときなど、なかなか収斂できず、泣きべそをかきそうになった自分の仕事振りをふり返って、ニンマリである。 田舎の医師などというのは、無能な技術者と同じようないい加減なところがあるものらしい。 だから、田舎の技術者も医者も信用できないわけである。 自分のことを棚にあげているわけではない。 小生自身、気力と体力だけで頑張ってきたようなもので、恥ずかしながら、「職業適性検査」で、ソフトウェア開発技術者としての適性があるなどという結果が出たことは一度もない。それにしても20年、よくぞやって来れたものだと思う。多くの仲間にたすけられたり、発注元のお客さんには、気長にお待ちいただいたお蔭だと、今でも感謝している。
by payarn
| 2009-01-20 16:30
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